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あなたの隣の免疫不全系男子

1990年のパリの僕 〜 映画「BPM」試写会に応募して

HIVの感染を知ってからしばらくのあいだは、自分の病気のことで手一杯だった。

 

なので、HIVといえば、それは「自分のHIV」のことだった。すなわち「2016年に感染を知り、東京の大病院で治療を受けているゲイ男性」としてのHIV。寿命は人並み、毎日元気、病院親切、1日1錠、ゲイ友いっぱい・・・。HIVはそんな病気だった。

 

でも、いつごろからだろう。あたりを見回す余裕が出てきて新たな実感を感じるようになった。これが唯一のHIVの姿ではないこと。条件が一つ違うだけで、状況が変わることに。

 

もし僕が違う国に生まれていたら、もし違う性別や性指向を持っていたら、もし違う経路で感染していたら、もし10年前に感染していたら、もし1年遅れて気づいていたら・・・。それだけで、僕のキーワードは違うものになっていた。

 

今の日本では、それでも僕のキーワードは「マジョリティ」なのだろうけれど、今の日本でそこに属さない人だって当然いる。国や時代を少し変えれば、僕と違うキーワードで説明されるHIVを持って暮らす人・暮らした人は、たくさんいる。

 

もちろん、その人は僕ではない。でも、それは他でもない、前提条件がひとつ違うにすぎない僕自身だ。

 

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映画の試写会に応募した。今年のカンヌ映画祭でグランプリを受賞した「BPM」というフランス映画だ。

 

1990年、HIV・AIDS旋風が吹き荒れるフランス・パリを舞台に若者たちの恋を描いた作品で、来年の3月に日本でもロードショーの予定だが、これに先立ってTOKYO AIDS WEEKS 2017で試写会をおこなうらしい。

 

aidsweeks.tokyo

 

いまの僕の暮らしの中で、HIVはすごいことではない。

 

だからこそ、90年代初頭の、治療法はおろか病気の正体すらわからなかった時代のHIVの話を聞くたび、強烈な衝撃を受ける。現代なら薬さえ飲めばあっというまに血液から検出されなくなるこのウィルスが、ほんの30年前に人がバタバタと死んでいく恐ろしい病として人間社会を翻弄していた事実を前に、言葉を失う。

 

僕がいまこうやって普通に暮らしているのも本当に偶然なのだと、あらためて思う。この映画で描かれた1990年のパリの若者の話は、たまたま感染時期が異なる僕の話だ。

 

30年かけて先人が築き上げた医療技術、支援体制、ネットワーク。そのすべてに対する感謝の思いを、あらためて胸にきざむ。

 

そして、時代が、国がたまたま違う「僕の話」を、これからも聞いていきたい。今の自分よりつらい境遇にある人を見て自分が安心したいだけの身勝手な思いなのだろうかと自問もしたけれど、そんな立ち止まりや迷いまでひっくるめた2年目の僕の正直な思いに立って、僕は「僕の話」を一つひとつ聞いていこうと思う。

 

試写会、当選しますように!

 

TOKYO AIDS WEEKには今回はじめて足を運ぶのだが、映画の上映のほか、番組の公開録画、Out of JAPANの写真展、ゲイの合唱ミニコンサート、トークセッション、調査報告、シンポジウムなど、結構いろんなイベントが準備されている。

 

あなたも11月24日(金)・25日(土)・26日(日)に中野駅に降り立ってみよう。大きなレッドリボンをつけた中野区役所が、あなたを迎えてくれる。

 

aidsweeks.tokyo

 最後まで読んでくれてありがとう!

新井先生とアライの話

「不可思議Wonderboy」というアーティストをご存知知だろうか。ポエトリーリーディングという、ラップの変型判のような音楽のパフォーマーなのだが、友人に教えられて以来すっかりはまっている。

 

一人また一人と仲間たちが社会に迎合していくなか、自分の夢を信じ追いつづける若者の孤独を鮮やかに歌い上げる不可思議さん。彼の無防備でみずみずしいメッセージは、熱い思いにフタをして生きる賢明な大人たちの胸にするどく突き刺さる。

 

あの頃って何にでもなれる気がしてたよなあ / いや実際頑張ればなんにでもなれたか / でもこうやっていろんなことが終わってくんだもんなって / いや始まってすらいないか

<不可思議Wonderboy 「Pellicule」>

 

先日、バブリングのトークイベントで中学校の国語教師である新井淑則先生の話を聞いた。シュッとした紳士的な身なり、よく響く声でユーモアたっぷりに話す姿はまさに先生然としていて、やっぱりプロは違うな…と感心しながらトークに耳を傾けた。

 

新井先生は目が見えない。

 

教職に就いて数年後に、網膜剥離で視力を失った新井先生。いちどは職を追われたが、10年をかけて再び中学校の教壇に立ったという。24時間テレビでもドラマとして取り上げられた話で、知っている人も多いだろう。

 

2時間にわたるトークには示唆深い話がてんこもりだったが、何より印象深かったのは新井先生が失意の底で教職への復帰を心に決めたときのエピソードだった。

 

目が見えなくなり家に引きこもって塞いでいた新井先生に、先輩の当事者は「あんま・鍼灸・マッサージ」の資格をとるよう勧める。「みんなそうやって頑張っている。君も頑張れ」と言われるが、新井先生にはその「頑張る」が自分事として感じられない。そんな中、後に恩師と仰ぐことになる弱視の教師に「新井先生も必ず教壇に戻れる」と言われ、自分が頑張るべきことはこれだと気づく。しかし、そのような前例はほとんどなかった。

 

この話に、僕は強い既視感というか、シンパシーのようなものを感じた。同じような経験が僕にもある。

 

自分がHIV陽性だと知って以降に出会った当事者のほとんどは、自分がポジティブであることを徹底的に隠して生きていた。そして、これからもバレないように「頑張ろう」と言う。

 

僕には、その「頑張る」がピンとこなかった。頑張るっていうのは、病気のことに劣等感を持たず、病気のことも話せる友人関係を持ち、オープンに仕事をして、恋愛もする、そんな日常を作ることだと思った。でもみんなは「そんなのは絶対に無理」と考えている様子だ。僕は戸惑い、寂しさを感じた。

 

同じ立場の人たちが語る努力に共感できない。自分が考える努力にも共感してもらえない。「目が見えなくなったらあんま師」と当事者までもが信じて疑わない状況で、新井先生もまた僕と同じような戸惑いや寂しさを感じたのではないだろうか。仮に僕が視力を失い「オレたちにはこれが相場だ」とあんま師の資格を勧められたら、僕もまた新井先生と同じような違和感を感じるような気がする。

 

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でも、その先は?周りとまったく違う方向を向いて、自分の夢を目指すために決意して立ち上がることが僕にできるだろうか。

 

正直、自信がない。

 

それは、他でもない今の僕の状況がそうだからだ。「隠すを頑張るなんてオカシイ」と言いながら、結局のところ大半の知人友人にHIVを隠して暮らしている。あたかも「僕の夢はこれじゃない」とうそぶきつつ、あんま師の勉強を黙々と続ける視覚障害者の人さながらだ。

 

僕は、すべてを伝えて社会から疎外されるのが怖い。

 

病気のせいで疎外されるのが怖いのではない。僕自身は、HIVを持っていることをただの病気のひとつ、それもそこまで騒ぐほどの病気ではないと思っている。でも、社会全体が、当事者まで巻き込んで「最強にとんでもない病気」だと信じ切っている中、大したことじゃないんだと正直に声をあげ「変人扱いされること」が怖いのだ。

 

「僕はとんでもない病気を持っていて、悩んでいて、でも前向きに生きようと頑張ってます」。そう発信してこそ非当事者も当事者も安心して受け止めてくれることを、僕は知っている。そして、そのように表明してこそ「すごいね、大変だね、頑張ろうね」と慈愛と励ましに満ちたレスポンスがスムーズに返ってくることも、僕は知っている。

 

当事者は、社会から疎外されない確証を得たいがために「悲惨なHIV陽性者像」を提供する。非当事者は、人格者としての憐れみの心を(その一瞬だけ)抱く喜びを得たいがために「悲惨なHIV陽性者」像を消費する。

 

この構図が、いまの日本で圧倒的に安定していることを、僕はイヤなほどよく知っている。だからこそ、「それコメディですよ?」と反論したら、本気でつまはじきにされそうで、怖いのだ。

 

僕は強くない。情けなくなるほど弱い。

 

では、新井先生は強かったのだろうか。

 

トークの中で、新井先生は「自分は強くない。むしろ弱い人間だ」と、再三にわたり強調していた。そして「教壇に戻ろう」と言ってくれた周りの人たちがいてくれたからこそ長い道のりを歩くことができたと語っていた。

 

健常者から当事者までもを巻き込んだ「視覚障害=あんま師」の固定観念の中にあって、新井先生の「思い」はマイノリティだった。その思いを抱き続ける道のりは、想像以上に孤独だっただろう。

 

だからこそ、その少数派たる思いに寄り添い、同じ方向を向いて一緒に歩んでくれた仲間たちの存在がとても大きかった。仮にご自身が言うように先生が本当に弱い人間だとしたら、その弱い新井先生までをも立ち上がらせるほどの大きな力を、孤独に寄り添った同伴者は与えてくれたのだ。

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アライ(Ally)という言葉を聞く。少数者に対する理解者という意味で使われ、僕もそう解釈していた。

 

しかし、実はこれは表層的な理解なのかもしれない。「マイノリティな属性」を理解し受け入れる人がアライなのではなく、背景にあるものが何であれ、その人の「マイノリティな思い」に寄り添う人こそがアライだとは言えないだろうか。

 

夢をめざす新井先生の孤独の傍らには、アライのみんながいた。そして、新井先生は自分の夢をかなえ、その事実を世間が知ることで、新井先生の思いを少数派せしめていた世間の固定観念にはヒビが入った。固定観念に飲み込まれていたすべての人に、変化がもたらされた。いまや、新井先生の思いはマイノリティではない。

 

あたらめて、僕の周りにどんなマイノリティな思い・孤独があるのか考えてみる。僕も、誰かの孤独に寄り添えるアライになろうと思った。同じように孤独の中に立つ一人の弱い人間として。

 

前述の不可思議Wonderboy君のパフォーマンスを見て、詩人の谷川俊太郎はこう評した。

 

イギリスの哲学者で“世の中には2種類の行為がある”と言った人がいてね、彼は“世の中のすべての行為を、Death Avoiding Behavior (死回避行為)とLiving Behavior (生命的行為)”に分けて説明したんだ。僕の解釈では、現代人の多くは生活優先のDeath Avoiding Behaviorで生きてしまっているんだけど、不可思議くんのラップはまさにLiving Behaviorを体現している。だから感じてしまうものがあるんじゃないかな。

From: Living Behavior 不可思議/wonderboy 人生の記録

 

あんま師というDeath Avoiding Behaviorを採らず、Living Behaviorを貫いた新井先生の歩みは、いまは亡き不可思議くんの叫びと、世代を超えてシンクロする。もし不可思議くんが生きていたら、新井先生のトーク聞いてほしかったな。

 

ーーーーー

 

新井先生の著書を買って読んでみた。中学生でも読めるように、わかりやすく書き下ろされている。そう。そもそも障害者の話って、大人だけが語る特別なイシューじゃない。僕が中学生のとき、こんな本があって、勧めてくれる大人がいてくれたらよかったのにな。

 

 

最後まで読んでくれてありがとう!

明日のHIV特効薬を今日の世界はまだ知らない

HIVを自分で持つことになるまで気がつかなかったことはいろいろありますが、その中でも特に僕が興味深く感じていることがあります。

 

このウイルスは、体内から完全に排除する方法が未だ見つかっていない、いわゆる「不治の病」で、しかも非常に有名です。ウイルス抑制の方法は見つかりましたが、本人がまめまめしく治療を継続しなければならず、本人にも社会にも諸々のコストがかかっています。

 

もし完治の方法を実用化できれば、これは世界規模のビッグニュースです。多くの人を救うことができるのはもちろん、お金も名誉も手に入れることになります。歴史に名を残す、と言っても大袈裟ではないでしょう。

 

このため、「完治の方法を見つけてやる!」という強いモチベーションがこの病気には存在していて、治療薬の研究が世界中で絶え間なくおこなわれています。

 

そうすると、どうなるか。

 

僕のようにHIVを持っている立場からすると、「自分の病気を治すための研究の新たな成果」が次々と飛び込んでくる状況になるわけです。なんとありがたいことでしょう!

 

治らない病気になるということに「停滞した時間に閉じ込められる」ようなイメージしか持っていなかった僕には、このダイナミックな状況がかなり新鮮で、その分とても興味深く感じています。

 

現代医学が未来に向けてさらに進歩していくスピード感を、最先端で、しかも身をもって体験できるわけです。人によって受け止め方は違うでしょうが、僕としてはこのあたりわりと楽しませてもらっています。

 

そして、いつかは完治するかも…という「実現可能性がゼロではない希望」とセットで、いろいろな妄想を巡らしたりしています。

 

今日はてなブックマークを見ていたら、アメリカのNIH(国立衛生研究所)が製薬会社とタッグを組んで、非常に強力なHIV抗体の開発に成功しつつある、というニュースがBBCから飛び込んできていました。

 

www.bbc.com

すでにサルでは臨床効果が確認されているらしく、2018年にはヒトの臨床試験も始まるらしいです。

 

この手のニュースは年に数回あるんですが、今回はやたらと気になりました。それは、開発元とニュースソースが信頼できるのと、研究者の次の一言が心に残ったからです。

 

It was an exciting breakthrough.

 

おなじような治療薬開発のニュースが以前に流布したとき、その開発可能性について主治医の先生に尋ねたことがありました。そのとき、横にいた別の先生がつぶやいた一言がフラッシュバックします。

 

「ブレイクスルーは、一気に来るものですよ。」

 

僕がおじいちゃんになっても「その時」は来ないかもしれません。でも、ひょっとしたら明日いきなり「その時」は訪れるのかもしれない。

 

数時間後に出会う運命の人を今の自分が知らないように、明日の画期的なブレイクスルーを今日の世界はまだ知らない。

 

いい続報があるといいなと思います。

 

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CD4に一喜一憂するぞ宣言

 

CD4が、病気が分かって以降の最高記録を更新した。

 

CD4というのは免疫の状態を表す指標で、数値が大きいほど免疫力が高いことを示す。健康な人で700~1500くらいの値だが、免疫機能障害になるとこれがじわじわ下がってくる。200を切ってしまうと、通常では発症しないような病気を発症する可能性(エイズを発症する可能性)が高まると言われる。

 

薬による治療がうまくいくと、CD4は回復してくる。ただ、その回復のスピードや程度は、個人差がとても大きいらしい。

 

服薬開始後の陽性者の予後は、このCD4の高さに比例して一定の傾向を見せるという見解もあるそうだ。

 

ptokyo.org

 

こういった話は、HIV感染が分かると、お医者さんから最初に聞かされる。当事者としては、自分の免疫力の指標たるCD4の値がどうしたって気になる。ところが、お医者さんは続けてこう付け加えるのだ。

 

「CD4の変動に一喜一憂してはいけません」

  

誤差が大きく、およその値にすぎないから、ということらしい。確かにそうなのだろうけれど、重要な値だとこれだけ前振りされたうえで「気にしないように」と言われても、困ってしまう。余計に気になりはじめる人だっているだろう。

 

そもそも、僕らにとって「改善し得る指標」はCD4しかない。

 

定期的に病院で検査する項目のうち、免疫不全に直接関係するのは、「血中ウイルス量」と「CD4」の二つだ。

 

前者の値は、文字通り血液の中のウイルスの量を示し、治療が成功すれば「検出せず」になる。その間わずか数ヶ月。医学の大勝利であり素晴らしいことだが、値の変化という面では「それ以上よくなることがない指標」でもある。

 

もう一つの指標・CD4だけが、昨日より今日、今日より明日と良くなっていく可能性があるわけだ。

 

かくいう僕も、病気がわかってから今まで、CD4の値をずっと気にしてきた。服薬を始めてから一年しか経っていない僕のCD4は、そこそこ大きく上下する。そうなると、やっぱり検査のたび結果が気になる。

 

当初は、先生の言うことを守ろうと、波を気にしないよう努めてみた。しかし、どうしても気になってしまうし、無理して関心を消すことへの違和感もあった。免疫力が回復する可能性に希望を持ちたかったし、そのために頑張ってもみたかった。

 

僕は、ほどなく方針を変えた。心の赴くままCD4の増減に一喜一憂しよう。あまりにも免疫が回復せず心が折れそうになったら、そのとき先生の意見を採用しよう。それまでは、CD4への向き合い方については、先生の指示を聞かない「悪い患者」でいさせてもらおう。先生、ごめんなさい....。

 

診察室をノックした。

 

「こんにちは。よろしくお願いします」
「ヒロトさん、こんにちは。その後、体調はどうですか」
「おかげさまで、あれ以降は何もありません」

 

「あれ」というのは、数週間前に風邪で高熱を出して病院に駆け込んだことを言っている。熱はほどなく引いたが、その直後に検査を受けたので、今から聞く検査結果は病み上がりのものだ。

 

けっこうすごい熱だったので、今回のCD4は最初からあきらめていた。

 

「先週の血液検査の結果ですが、問題ないですね。ウイルスは今回も検出されていません。肝臓や腎臓の値も…」

 

先生の「CD4に一喜一憂させない」ポリシーは徹底していて、CD4の説明はいつも最後だ。どのくらい下がってるかな…。僕は、先生の説明もそこそこに、検査結果がプリントされた紙にCD4の値を探した。

 

…お?…おおっ!

 

「先生、むっちゃ上がってますよCD4!」
「前回と比べると上がりましたね。ただ、あいまいな数値である点は考慮する必要があります」

 

下がっても上がっても同じコメントしかくれない、つれない先生。でも、そんなぶれない先生だからこそ、僕は信頼している。ファジーな数値の上昇に歓喜するポンコツポジティブの僕を、先生は笑顔で見守ってくれた。

 

「どうしてですかね。風邪で熱出したのがよかったのかな。たまに体調くずしたほうがいいんでしょうか」
「そんなことはありませんが…、体調が悪くてもこの値、ということで、それだけ底力がついたということでしょう」

 

底力…。

 

免疫が低い病気をこれからも抱えて生きていく僕には、なんとも心強い一言だった。

 

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CD4を上げようと、思いつくものは片っ端から試してみた。生姜、白湯、シイタケ、バナナ、有酸素運動、入浴、日光浴、深い睡眠、笑顔…(唯一、試したくても試せずにいる「スキンシップ」が残っているが)。しかし、そんな僕の努力が存在しなかったかのように、CD4は気ままに上がったり下がったりを繰り返してきた。

 

今回にしても、どうしてCD4が突然はねあがったのか、皆目見当がつかない。次回また大きく下がるのかもしれない。お医者さんたちが言う「一喜一憂しない態度」が、いちばん合理的で賢明なのかもしれない。

 

それでも、僕はCD4が過去最高を記録した今日を喜びたい。嬉しいと思えることがあったら思い切り嬉しいと思えばいいし、裏切られたら思い切り落ち込めばいい。

 

それがきっと、いちばん僕らしい病気との付き合い方だ。

伝えない意味、伝える意味|ヒロトのインタビュー(カミングアウトストーリー)

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僕のインタビュー記事が、NPO法人バブリングのウェブサイトに掲載されました。

 

HIVを持っていることを告知されて1年も経たないころのインタビューで、気持ちの整理もしきれていないし、内容もとりとめがないけれど、その分の生々しさというか、飾らない正直な気持ちが随所ににじみ出たインタビューになっていると思います。

 

本人としては、かなり照れくさい記事です……。

 

けっこう長いんですが、ぜひ読んでみてください!

 

npobr.net

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