同窓会
高校時代の友人たちと酒を飲んだ。数ヶ月に1度、少人数で会っていろんな話をしている。
同窓会というほど大規模でも久々でもないけれど、普段の人間関係とは別のところで繋がっている友人、それも若かった時代を知っている同い年の友人と飲む酒というのは美味しくて、やっぱりただの飲み会とは区別したくなる。
メガネ女子だった友人は、いろいろ経てついに先週離婚届を提出した、ということで乾杯。清楚系女子だった友人は転職を悩み中で、今は人事の仕事をしているサッカー男子だった友人からアドバイスをもらっていた。そのサッカー男子は、政治の話を熱く語り、みんなで喧々諤々の議論を交わす。
今日は話そう。最初からそう決めていた。
「ねえ、俺の悩みも聞いてよ」
「なになにヒロトの悩み」
「話してよ。どんな悩みよ」
お酒のせいなのか、一対一じゃないからなのか、緊張していない。自分でも不思議だった。
「実はオレ、ずっと病気なんだけどさ…。会社には黙ってて、でもいろいろ不便で、いつか言いたいなって気持ちがあるんよ」
「病気?…何の病気?聞いてもいいのかわからないけど」
「人事なら絶対に個人情報もらさないよ」
「教育受けてるしね。けっこうキビしく」
どう言ったものか一瞬迷ったが、謙虚な気持ちで聞いてみた。
「HIVって知ってる?」
これを謙虚と呼ぶのか定かではないが、とにかく僕の伝えた病名は彼らの予想していた範囲を少しだけ越えていたようで、会話が一瞬止まった。
しかし、それはほんとうに一瞬だった。友人たちはすぐに、堰を切ったように勢いよく話し始めた。
「知ってるよ。そりゃ」
「もう薬飲めば、治るじゃないけど大丈夫なんだよね」
「無理に言うことないよ。私だってさ…」
「でも通院で休む時とかめんどくさいのわかる」
「どのくらい病院行ってるの?」
何だか、もうそれだけで十分だった。ヒロトは病気だ。でもそれが会社に言えなくて不便を感じてる。それをそのままに受け止めて、みんなで考えてくれてる、それだけで十分だった。
いろんな「ただそれだけのこと」が、それだけのこととしてそのまま伝わりづらいのが、この病気の生きづらさなんだと思う。でもみんながそれをヒョイと飛び越えてくれたおかげで、僕は普通の「病気の友達」になることができた。
結局、友人3人は「これはこうだ」「いやこうだろ」と病気と仕事、そしてときどきHIVについていろんな議論を交わした。僕は多くを語る必要はなかった。
嬉しかった。美味しい日本酒がさらに美味しく感じられて、残ったお酒をぐいと飲み干した。
サッカー男子が言った。
「ヒロトはさ、うん言いたくなかったらいいんだけど、ヒロトは…LGBTなの?」
これ何て返せばいいんだ…と迷っているうちに女子が畳み掛けた。
「LGBTは全体を言う言葉だから!」
「それ変!ちょっともう、人事でしょ」
近いうちまた飲もうな、みんな。
ひっそりと咲く花
二ヶ月ぶりの診察。
インタビューを受ける予定だと雑談で話したことを、主治医の先生は覚えていました。
「インタビューの内容は世に出るんですか」
「はい、ウェブ上で公開されます」
「社会の認識が進むことにつながるといいですね」
この若い先生は、ときどき「社会」に言及します。何の気なしに言ってみました。
「最近LGBTが流行りじゃないですか」
「ああ、話題になってますね」
「HIVもあんなふうになってくれるといいかも」
血圧計を腕から外しながら、先生は言いました。
「個人的には、ひっそりと咲いていてくれればいいです。目立たなくても、枯れさえしなければ」
世の中の関心は大きいほど良い。単純にそう思っていた僕に、先生のことばはちょっと意外でした。
良くも悪くも、世の中に広く知られた疾病、HIV感染症。当初パニック気味に報道されたおどろおどろしい死のイメージは、世の中の関心が薄れた今も、野獣の亡き骸のように広い草原に置き去りになっています。
そんな病気、そしてそれを取り巻くものの変化に、大病院の最前線でずっと向き合ってきた先生は、草原にひっそりと咲く花の傍らに腰をおろすまでのあいだ、何を見て、何を想ってきたんだろう……。
もうすぐ世に出るインタビュー。その拙く短い言葉は、草原に芽吹くでしょうか。仮に芽を出し花開いたとして、いつまで枯れずに咲いているでしょうか。
ブログ書いてみようかな。
きっと悲壮感も感動もない、朴訥としたジミな文章になるのだろうけど、それこそが2017年の日本におけるHIVの客観的な姿なら、それもまた一つの自然な声。
ひっそりと咲く花。先生の言葉、いつかは理解できるかな。