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あなたの隣の免疫不全系男子

明日のHIV特効薬を今日の世界はまだ知らない

HIVを自分で持つことになるまで気がつかなかったことはいろいろありますが、その中でも特に僕が興味深く感じていることがあります。

 

このウイルスは、体内から完全に排除する方法が未だ見つかっていない、いわゆる「不治の病」で、しかも非常に有名です。ウイルス抑制の方法は見つかりましたが、本人がまめまめしく治療を継続しなければならず、本人にも社会にも諸々のコストがかかっています。

 

もし完治の方法を実用化できれば、これは世界規模のビッグニュースです。多くの人を救うことができるのはもちろん、お金も名誉も手に入れることになります。歴史に名を残す、と言っても大袈裟ではないでしょう。

 

このため、「完治の方法を見つけてやる!」という強いモチベーションがこの病気には存在していて、治療薬の研究が世界中で絶え間なくおこなわれています。

 

そうすると、どうなるか。

 

僕のようにHIVを持っている立場からすると、「自分の病気を治すための研究の新たな成果」が次々と飛び込んでくる状況になるわけです。なんとありがたいことでしょう!

 

治らない病気になるということに「停滞した時間に閉じ込められる」ようなイメージしか持っていなかった僕には、このダイナミックな状況がかなり新鮮で、その分とても興味深く感じています。

 

現代医学が未来に向けてさらに進歩していくスピード感を、最先端で、しかも身をもって体験できるわけです。人によって受け止め方は違うでしょうが、僕としてはこのあたりわりと楽しませてもらっています。

 

そして、いつかは完治するかも…という「実現可能性がゼロではない希望」とセットで、いろいろな妄想を巡らしたりしています。

 

今日はてなブックマークを見ていたら、アメリカのNIH(国立衛生研究所)が製薬会社とタッグを組んで、非常に強力なHIV抗体の開発に成功しつつある、というニュースがBBCから飛び込んできていました。

 

www.bbc.com

すでにサルでは臨床効果が確認されているらしく、2018年にはヒトの臨床試験も始まるらしいです。

 

この手のニュースは年に数回あるんですが、今回はやたらと気になりました。それは、開発元とニュースソースが信頼できるのと、研究者の次の一言が心に残ったからです。

 

It was an exciting breakthrough.

 

おなじような治療薬開発のニュースが以前に流布したとき、その開発可能性について主治医の先生に尋ねたことがありました。そのとき、横にいた別の先生がつぶやいた一言がフラッシュバックします。

 

「ブレイクスルーは、一気に来るものですよ。」

 

僕がおじいちゃんになっても「その時」は来ないかもしれません。でも、ひょっとしたら明日いきなり「その時」は訪れるのかもしれない。

 

数時間後に出会う運命の人を今の自分が知らないように、明日の画期的なブレイクスルーを今日の世界はまだ知らない。

 

いい続報があるといいなと思います。

 

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CD4に一喜一憂するぞ宣言

 

CD4が、病気が分かって以降の最高記録を更新した。

 

CD4というのは免疫の状態を表す指標で、数値が大きいほど免疫力が高いことを示す。健康な人で700~1500くらいの値だが、免疫機能障害になるとこれがじわじわ下がってくる。200を切ってしまうと、通常では発症しないような病気を発症する可能性(エイズを発症する可能性)が高まると言われる。

 

薬による治療がうまくいくと、CD4は回復してくる。ただ、その回復のスピードや程度は、個人差がとても大きいらしい。

 

服薬開始後の陽性者の予後は、このCD4の高さに比例して一定の傾向を見せるという見解もあるそうだ。

 

ptokyo.org

 

こういった話は、HIV感染が分かると、お医者さんから最初に聞かされる。当事者としては、自分の免疫力の指標たるCD4の値がどうしたって気になる。ところが、お医者さんは続けてこう付け加えるのだ。

 

「CD4の変動に一喜一憂してはいけません」

  

誤差が大きく、およその値にすぎないから、ということらしい。確かにそうなのだろうけれど、重要な値だとこれだけ前振りされたうえで「気にしないように」と言われても、困ってしまう。余計に気になりはじめる人だっているだろう。

 

そもそも、僕らにとって「改善し得る指標」はCD4しかない。

 

定期的に病院で検査する項目のうち、免疫不全に直接関係するのは、「血中ウイルス量」と「CD4」の二つだ。

 

前者の値は、文字通り血液の中のウイルスの量を示し、治療が成功すれば「検出せず」になる。その間わずか数ヶ月。医学の大勝利であり素晴らしいことだが、値の変化という面では「それ以上よくなることがない指標」でもある。

 

もう一つの指標・CD4だけが、昨日より今日、今日より明日と良くなっていく可能性があるわけだ。

 

かくいう僕も、病気がわかってから今まで、CD4の値をずっと気にしてきた。服薬を始めてから一年しか経っていない僕のCD4は、そこそこ大きく上下する。そうなると、やっぱり検査のたび結果が気になる。

 

当初は、先生の言うことを守ろうと、波を気にしないよう努めてみた。しかし、どうしても気になってしまうし、無理して関心を消すことへの違和感もあった。免疫力が回復する可能性に希望を持ちたかったし、そのために頑張ってもみたかった。

 

僕は、ほどなく方針を変えた。心の赴くままCD4の増減に一喜一憂しよう。あまりにも免疫が回復せず心が折れそうになったら、そのとき先生の意見を採用しよう。それまでは、CD4への向き合い方については、先生の指示を聞かない「悪い患者」でいさせてもらおう。先生、ごめんなさい....。

 

診察室をノックした。

 

「こんにちは。よろしくお願いします」
「ヒロトさん、こんにちは。その後、体調はどうですか」
「おかげさまで、あれ以降は何もありません」

 

「あれ」というのは、数週間前に風邪で高熱を出して病院に駆け込んだことを言っている。熱はほどなく引いたが、その直後に検査を受けたので、今から聞く検査結果は病み上がりのものだ。

 

けっこうすごい熱だったので、今回のCD4は最初からあきらめていた。

 

「先週の血液検査の結果ですが、問題ないですね。ウイルスは今回も検出されていません。肝臓や腎臓の値も…」

 

先生の「CD4に一喜一憂させない」ポリシーは徹底していて、CD4の説明はいつも最後だ。どのくらい下がってるかな…。僕は、先生の説明もそこそこに、検査結果がプリントされた紙にCD4の値を探した。

 

…お?…おおっ!

 

「先生、むっちゃ上がってますよCD4!」
「前回と比べると上がりましたね。ただ、あいまいな数値である点は考慮する必要があります」

 

下がっても上がっても同じコメントしかくれない、つれない先生。でも、そんなぶれない先生だからこそ、僕は信頼している。ファジーな数値の上昇に歓喜するポンコツポジティブの僕を、先生は笑顔で見守ってくれた。

 

「どうしてですかね。風邪で熱出したのがよかったのかな。たまに体調くずしたほうがいいんでしょうか」
「そんなことはありませんが…、体調が悪くてもこの値、ということで、それだけ底力がついたということでしょう」

 

底力…。

 

免疫が低い病気をこれからも抱えて生きていく僕には、なんとも心強い一言だった。

 

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CD4を上げようと、思いつくものは片っ端から試してみた。生姜、白湯、シイタケ、バナナ、有酸素運動、入浴、日光浴、深い睡眠、笑顔…(唯一、試したくても試せずにいる「スキンシップ」が残っているが)。しかし、そんな僕の努力が存在しなかったかのように、CD4は気ままに上がったり下がったりを繰り返してきた。

 

今回にしても、どうしてCD4が突然はねあがったのか、皆目見当がつかない。次回また大きく下がるのかもしれない。お医者さんたちが言う「一喜一憂しない態度」が、いちばん合理的で賢明なのかもしれない。

 

それでも、僕はCD4が過去最高を記録した今日を喜びたい。嬉しいと思えることがあったら思い切り嬉しいと思えばいいし、裏切られたら思い切り落ち込めばいい。

 

それがきっと、いちばん僕らしい病気との付き合い方だ。

伝えない意味、伝える意味|ヒロトのインタビュー(カミングアウトストーリー)

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僕のインタビュー記事が、NPO法人バブリングのウェブサイトに掲載されました。

 

HIVを持っていることを告知されて1年も経たないころのインタビューで、気持ちの整理もしきれていないし、内容もとりとめがないけれど、その分の生々しさというか、飾らない正直な気持ちが随所ににじみ出たインタビューになっていると思います。

 

本人としては、かなり照れくさい記事です……。

 

けっこう長いんですが、ぜひ読んでみてください!

 

npobr.net

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同窓会

高校時代の友人たちと酒を飲んだ。数ヶ月に1度、少人数で会っていろんな話をしている。

 

同窓会というほど大規模でも久々でもないけれど、普段の人間関係とは別のところで繋がっている友人、それも若かった時代を知っている同い年の友人と飲む酒というのは美味しくて、やっぱりただの飲み会とは区別したくなる。

 

メガネ女子だった友人は、いろいろ経てついに先週離婚届を提出した、ということで乾杯。清楚系女子だった友人は転職を悩み中で、今は人事の仕事をしているサッカー男子だった友人からアドバイスをもらっていた。そのサッカー男子は、政治の話を熱く語り、みんなで喧々諤々の議論を交わす。

 

今日は話そう。最初からそう決めていた。

 

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「ねえ、俺の悩みも聞いてよ」
「なになにヒロトの悩み」
「話してよ。どんな悩みよ」

 

お酒のせいなのか、一対一じゃないからなのか、緊張していない。自分でも不思議だった。

 

「実はオレ、ずっと病気なんだけどさ…。会社には黙ってて、でもいろいろ不便で、いつか言いたいなって気持ちがあるんよ」
「病気?…何の病気?聞いてもいいのかわからないけど」
「人事なら絶対に個人情報もらさないよ」
「教育受けてるしね。けっこうキビしく」

 

どう言ったものか一瞬迷ったが、謙虚な気持ちで聞いてみた。

 

「HIVって知ってる?」

 

これを謙虚と呼ぶのか定かではないが、とにかく僕の伝えた病名は彼らの予想していた範囲を少しだけ越えていたようで、会話が一瞬止まった。

 

しかし、それはほんとうに一瞬だった。友人たちはすぐに、堰を切ったように勢いよく話し始めた。

 

「知ってるよ。そりゃ」
「もう薬飲めば、治るじゃないけど大丈夫なんだよね」
「無理に言うことないよ。私だってさ…」
「でも通院で休む時とかめんどくさいのわかる」
「どのくらい病院行ってるの?」

 

何だか、もうそれだけで十分だった。ヒロトは病気だ。でもそれが会社に言えなくて不便を感じてる。それをそのままに受け止めて、みんなで考えてくれてる、それだけで十分だった。

 

いろんな「ただそれだけのこと」が、それだけのこととしてそのまま伝わりづらいのが、この病気の生きづらさなんだと思う。でもみんながそれをヒョイと飛び越えてくれたおかげで、僕は普通の「病気の友達」になることができた。

 

結局、友人3人は「これはこうだ」「いやこうだろ」と病気と仕事、そしてときどきHIVについていろんな議論を交わした。僕は多くを語る必要はなかった。

 

嬉しかった。美味しい日本酒がさらに美味しく感じられて、残ったお酒をぐいと飲み干した。

 

サッカー男子が言った。

 

「ヒロトはさ、うん言いたくなかったらいいんだけど、ヒロトは…LGBTなの?」

 

これ何て返せばいいんだ…と迷っているうちに女子が畳み掛けた。

 

「LGBTは全体を言う言葉だから!」
「それ変!ちょっともう、人事でしょ」

 

近いうちまた飲もうな、みんな。

ひっそりと咲く花

二ヶ月ぶりの診察。


インタビューを受ける予定だと雑談で話したことを、主治医の先生は覚えていました。


「インタビューの内容は世に出るんですか」
「はい、ウェブ上で公開されます」
「社会の認識が進むことにつながるといいですね」

 

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この若い先生は、ときどき「社会」に言及します。何の気なしに言ってみました。


「最近LGBTが流行りじゃないですか」
「ああ、話題になってますね」
「HIVもあんなふうになってくれるといいかも」


血圧計を腕から外しながら、先生は言いました。


「個人的には、ひっそりと咲いていてくれればいいです。目立たなくても、枯れさえしなければ」


世の中の関心は大きいほど良い。単純にそう思っていた僕に、先生のことばはちょっと意外でした。


良くも悪くも、世の中に広く知られた疾病、HIV感染症。当初パニック気味に報道されたおどろおどろしい死のイメージは、世の中の関心が薄れた今も、野獣の亡き骸のように広い草原に置き去りになっています。


そんな病気、そしてそれを取り巻くものの変化に、大病院の最前線でずっと向き合ってきた先生は、草原にひっそりと咲く花の傍らに腰をおろすまでのあいだ、何を見て、何を想ってきたんだろう……。


もうすぐ世に出るインタビュー。その拙く短い言葉は、草原に芽吹くでしょうか。仮に芽を出し花開いたとして、いつまで枯れずに咲いているでしょうか。


ブログ書いてみようかな。


きっと悲壮感も感動もない、朴訥としたジミな文章になるのだろうけど、それこそが2017年の日本におけるHIVの客観的な姿なら、それもまた一つの自然な声。


ひっそりと咲く花。先生の言葉、いつかは理解できるかな。