hirotophy

あなたの隣の免疫不全系男子

母さんの息子

よく晴れた10月の日曜日。僕は、実家ちかくのファミレスに母といっしょに来ていました。家に帰る前に母と食事をする、僕たち馴染みのお店です。

 

「裕斗、あんたもっとちょくちょく顔出しなさいよ」
「よく来てるでしょ。今日だって会社ではみんな俺のこと親孝行だって」
「あらー、みんなお母さんがパソコンわからなくてもほっとくのー?」
「普通はわからなかったら自分で調べるの!」

 

いつもと変わらない会話。

 

でも内心、僕は少し緊張していました。まるで何かの試合の直前に、フィールドの脇で待機しながら感じる高揚感まじりの気合いのような。

僕は今日、HIVの話を母にしようと決めていました。

 

悩みを打ち明けるわけじゃない

 

母にHIVの話をすることは、僕にとって大きな意味がありました。

 

告知を受けてからしばらくの間、HIVは僕にとって「大きな悩み」でした。HIVを持ったことを「とんでもないこと」「忌まわしいこと」だと思っていたからです。

 

しかし、そんな色眼鏡はいつのまにかなくなりました。HIVもただの病気のひとつ。そう考えるようになってからは萎れていた気持ちも元気になり、自分で自分を苦しめるようなこともなくなりました。

 

しかし、変な話なのですが、悩みを追いやったのと引換に、僕はあらたな寂しさを背負うことになりました。

 

世間では、HIVを持つ僕が悩み苦しむのを当然だと考えます。とんでもないもの、忌まわしいものを持ってしまった人と見るからです。しかし、僕にとって悩み苦しむのは当然のことではありません。なぜなら、僕が持っているものはコントロール可能な無症状の病気にすぎず、実際に制御できているからです。

 

こうしたズレのなかに、思いは生まれてきました。

 

僕は静かに、でもはっきりと伝えたくなってきたのです。「僕は僕を忌まわしく思っていない。とんでもないことが起きたとも思っていない。あなたもそう思わないでほしい」と。

 

僕の体内にはHIVというウイルスがこれからずっとある予定だけれど、そいつは薬を飲んでいれば自分にも他人にも悪さはしない。話は、それ以上でも以下でもない。大騒ぎすることではないので、僕は今までどおり普通にやっていく。あなたもそうしてほしいと。

 

そう伝えきることは、伝えた結果の反応がどうであれ、僕にとって「実際に僕が忌まわしい存在でなくなること」を意味するように思えました。

 

HIVがあると告知されて、僕がいちばんはじめに、いちばん深く「忌まわしい自分になったこと」を申し訳ないと思った相手は、母でした。そんな母の前で「忌まわしい存在ではなくなること」は、僕にとって大きな意味があったのです。

 

予想とちがう反応

 

さて、どうやって切り出そう……。セルフサービスのコーヒーを持って席に着いた僕は、しばし考えていました。そのとき、まるで見透かしたかのように母が聞いてきました。


「それで、裕斗はどうなの。何事もなくやってるの」
「うん、特に何もないんだけど……」
「けど?けど何なの?」

 

僕は、まだ熱いコーヒーをごくりと飲み込みました。今しかない。


「その……、結論としては何でもないことなんだけどね、何も心配いらないんだけどさ」
「うん」
「いや本当に何でもないんだよ。だから何をしてほしいとかないし、してもらう必要もないし、気にしなくて全然大丈夫なんだけど、んー」
「何なのよ!わかったから。どうしたの」

 

もう戻れない。いや、戻らない。僕は、こぶしをぎゅっと握りました。

 

「あのさ……、HIVってわかる?」
「エイズのこと?」
「うん。俺さ、そのHIVを持ってるんだよね」
「そうなの?」

 

僕は、HIVとAIDSの違いを説明したうえで、AIDSを発症しなかったこと、薬を飲んでいてHIVが検出限界以下になっていること、それまでと生活が何も変わっていないことを話しました。


「薬のんでるって、いつから?」
「おととしの夏から。でも薬って言っても、一日一回錠剤を一粒飲むだけなんだよ。副作用も出てないし、寿命も普通の人とまったく変わらないし……」
「うんうん」

 

僕は、準備してきた言葉を一所懸命に組み立てます。しかし、それを聞く母の様子は、あまりにも平然としていました。何ひとつ驚いていないようにも見えます。

 

「あのさ……母さん、何かぜんぜん驚かないね」
「うん。だって、裕斗あんた前に言ってたじゃない、エイズのこと」

 

「へ……?」

 

目が点になりました。 HIVの話、もちろん僕は今日はじめて母にしているのです。

 

自分事・他人事

 

 「裕斗、言ってたでしょ。HIVの検査受けてるから心配しないでいいって」
「……? それ、いつの話?」
「あのときよ、あんたが『俺はゲイなんだ』って話したとき」
「!」

 

そうなんです。

 

いまから10年以上前、僕は大泣きしながらゲイのカミングアウトを両親にしたことがあります。衝動的に伝えてしまったため何の準備もしておらず、僕は思いつくがままにゲイに関する説明をしました。

 

そのとき確かに、僕は「HIVは検査をちゃんと受けてるから大丈夫」と伝えたのです(まあ当時は「検査を一回受けたことがある」だけのはずなんですが……)。

 

頭に浮かんだ言葉を片っ端から拾って伝えたとき、たまたま含まれた言葉のひとつ、HIV。それからずっと、僕はHIVを「他人事」として放置してきました。

 

しかし、母はそうではありませんでした。

 

「あのとき思ったのよ。『ああ、裕斗がこう言うってことは、裕斗にとってこれは大切なことなんだろうな』って。」
「……」
「あれから、テレビとかでエイズの話が出てくると、やっぱり気になってたのよね。でも、あの子は検査してるって言ってたから、もしなるとしてもちゃんと見つけてもらえるんだろうなって思ってた。それに、今はもう死なない病気になったってテレビでも言ってたしね」

 

母は、

 

僕の母親と言う人は、

 

いまから10年以上も前から、自分自身のことでないにもかかわらず、自分の息子に起こり得るかもしれない大事なこととして、ずっと「自分事」としてHIV/AIDSを気にかけていたのです。驚き、悩み、考え、知り、おそらくは「忌まわしさ」とも闘い、いろんな道を通りながら長い月日をかけて、この病気を自分事として消化してきたのです。

 

僕がHIV/AIDSに当事者性を自覚するようになったのは、数年前。リアルな自分事になってからのこと。母は、僕よりもずっとずっと「HIV当事者」として先輩でした。今日の僕の一握りの勇気を待つまでもなく、母にとってこのドラ息子は、HIVを持っていようと持っていまいと、ただの息子だったのです。

 

「みんな同じよ」

 

ふと我に返ると、母がじっと僕の顔を見つめています。

 

「みんなそれぞれ何かを持ってるのよ。みんな同じ」

 

そう言って母は、にっこり笑いました。

 

泣き崩れるかもしれない、声を荒らげるかもしれない、パニックになるかもしれない。母がどんな反応をしても全部受け止めて、落ち着くまではずっとそばにいようと決めていた、その母はただ静かに僕を見つめていました。

 

「あのさ、よかったら、こんど病院いっしょに行く?先生にいちど説明してもらってさ……」

「行かないわよ。聞いてもわかんないし。それに裕斗が平気だって言ってるし、実際に平気そうだし」

「そう?うん……。あと、家族会みたいのもあるらしいよ。行って他の家族の人と……」

「行かないわよ。ふふっ」

 

気がつけば、右へ左へ大騒ぎしているのは本人だけです。

 

「ふふっ」

 

僕も思わず、笑っていました。

 

f:id:hirotophy:20181103232536j:plain

伝える意味

かつて僕が落とした何気ないひとことは、10年の時間を経て未来の僕に帰ってきて、いろんなことを教えてくれました。そうだとすれば、今日の僕のひとことは、10年後の未来の僕にどんな意味を持つようになるんだろう……。ふと考えてしまいますが、それは誰にわかるはずもないこと。

 

僕にできること。それはきっと、いまこの瞬間、伝えることや伝えないことが自分や相手にとってどんな意味を持つのか、そんな問いにその時々で誠実に向き合っていくことだけなんだと思います。

 

外に出ると、辺りはもう薄暗くなりはじめていました。 

 

「母さん、それじゃまたね。今度は正月かな」
「ちょっと、そんな決めないでちょくちょく顔出しなさい」
「わかったわかった。まめに顔出しますって」

 

自転車置き場に向かう母の後姿は、いつもと同じでした。よく晴れた10月の日曜日。僕はこの日を忘れることはないんだろうと思います。