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あなたの隣の免疫不全系男子

小さな町の小さな皮膚科

僕がHIV陽性の告知を受けたのは、今から1年半前。保健所でも、検査場でも、大病院でもない、町の小さな皮膚科医院でした。

 

簡易なスクリーニング検査と正確な確定検査の二回の検査を受けたので、本当の告知は二回目の確定検査の結果を聞いたときです。でも、HIVというものが初めて自分事の世界に現れたスクリーニング結果の告知は、明らかに僕の二番目の人生の幕開けでした。

 

ついさっきまで属していた社会から弾き飛ばされた

 

皮膚科に行ったのは、左胸に発疹ができたからでした。近所の皮膚科がそろって休診だったので、開いている皮膚科を探して訪問しました。

 

ひと目で「帯状疱疹」だと診断されました。簡単な問診、薬ですぐ治るという説明を受けた後、先生から「念のために」とHIV・梅毒の検査を勧められました。

 

そういえば10年近く受けてないな…。この機会に受けとくか。深く考えることもなく了承し、採血をすませました。

 

数日後。

 

薬のおかげで発疹はほぼ消えていました。今日でもう病院行くのも終わりかな、などと考えながら、会社に行く前に皮膚科に寄りました。

 

ひと通り診察を終えた先生は、おもむろに一枚のハガキを取り出しました。

 

「血液検査の結果なんですが、つい先ほど届きまして」 そうだ、すっかり忘れていた。


「梅毒は陰性なんですが。……HIVが擬陽性と出ています」

 

「はい。……え?」

 

最初は事態をのみこめず、しばらくしてから全身の血の気がスーッと引きました。頭の中が真っ白で、必死に状況を整理しようとするのですが、何をどう整理すればいいのか見当もつきません。


「まだ決まったわけではありません。確定検査を受けなければわかりませんので、大きな病院にこちらから紹介状を書きます」
「……先生。僕は……どうしたらいいんでしょう」
「とにかく、確定検査を受けてください。今の段階では何とも言えません」

 

先生は、大病院に行きなさいの一点張りでした。

 

突如ふりかかった、まったく予想していなかった一大事。全身を貫く「とんでもないことが起きてしまった」という戦慄。そのとき、目の前の先生しか僕には頼れる人がいませんでした。しかし、唯一の相談相手であるその人は、ここじゃない、他に行けと頑なに繰り返すばかり。


ふらふらとクリニックの外に出ると、ハンバーガーショップがありました。とにかく何か食べなくちゃ。中に入ってハンバーガーセットを頼みましたが、まったく口にする気になりません。

 

スマホを取り出し、「HIV」を検索しまくりました。冷静になろうとすればするほど、いろんな思いがぐちゃぐちゃになってあふれてきます。道で血を吐いて死んでしまうんじゃないか。石を投げつけられながら日陰者として一生を終えるしかないんだろうか。両親にはもう合わせる顔がない。せっかく健康に生んでくれたのに……。

 

窓の外には、いつもと変わらない街並みがありました。いつもと変わらないのに、その街は透明な膜で遮られた遠い別世界に思えました。ついさっきまで属していたと思っていた社会から、僕は弾き飛ばされたんだ。そう感じたとき、僕は「僕側の世界」に僕以外誰もいないことに気づきました。

  

HIVステータスを知ってから今までの月日の中で、いちばん何も知らず、いちばん不安で、そしていちばん一人ぼっちな時間でした。

 

僕の身体の中で起きている「何か」に誠実に向き合ってくれた先生

 

その後、僕はいろいろな人に出会うことになりますが、行く先々で「その皮膚科はすばらしい」と絶賛されました。

 

考えてみれば、皮膚科の先生は僕の皮膚症状を治せばいいのであって、帯状疱疹の薬を処方するだけでその任務は簡単に果たせたはずです。なぜ帯状疱疹を発症するほど体が弱ってしまったのか、そこまで踏み込んで突き止める責務は、皮膚科の先生におそらくは求められません。

 

原因を明らかにすべくHIV検査を勧めることにしても、先生にとっていいことは何もありません。いきなり性感染症を疑われた僕は気分を害するかもしれないし、結果が陰性だったら(その場合が多いんでしょうけど)患者さんの信頼を失うかもしれない。逆に予想が当たって結果が陽性だったら、それはそれでHIV陽性告知という、おそらくお医者さんならだれでも避けたい役回りが自分に回ってきてしまう。

 

先生の立場だけ考えれば、検査を勧めることで面倒ばかり起きそうです。

 

それでもあえて検査を勧めてくれたのは、僕の身体で起きている「何か」に先生が誠実に向き合ってくれたからに他なりません。そして、その真摯な姿勢に、僕の命は救われたのです。


もうひとつ気づいたこと。それは、あの日僕がHIV陽性者としてど素人だったなら、先生もまたHIV陽性を告知する医療者としてきっと初心者であっただろうということ。この病気に対応する経験が豊富ではないと自認した先生は、中途半端なサポートで状況を混乱させたりせず、すみやかに専門医に繋げることがいちばん誠実な対応だと判断したのでしょう。

 

見捨てられてなんかいなかった。見捨てずにいてくれたからこそ、いま僕はここで息をして、心臓を鼓動させていられる。先生にお礼が言いたい。元気に暮らしている姿を見てもらいたい。

 

何だかんだで忙しい告知後の日々を過ごしながら、僕はいつしかそう考えていました。

 

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やっと伝えられた気持ち

 

秋になり、体調も気持ちも落ち着いてきたころ、僕は皮膚科医院をふたたび訪れました。

 

「失礼します」
「こんにちは、ヒロトさん」

 

明るい診察室。笑顔の先生と看護師さん。こんな部屋で、こんな先生だったのか・・・。あの日の僕の記憶に変なバイアスがかかっていることがわかって、あらためて自分が受けたショックの大きさを実感しました。よく頑張ったな、あの日の自分。


「先生、ごぶさたしています。その節は、ほんとうにありがとうございました!」
「いえいえ。その後いかがですか」
「おかげさまであれからすぐ病院に行って、指標疾患を発症することもなく無事に治療を始められて、今はウイルス量も検出限界以下になりました」
「そうですか。CD4はどれくらいですか」 

 

なんと先生は、業界用語だと思われる「CD4」を知っていました。僕は、もう少し詳しく、あの日以降の僕のたどった経過を説明しました。


「そうですか。本当によかったですね」 説明を聞きながら、先生は何度も何度も、本当によかったと繰り返しました。


ずっと言えずにいた気持ちを、やっと言葉にして直接伝えられたこと。そして、元気な僕の姿を見て先生が嬉しそうに笑ってくれたこと。「ありがとう」「よかったね」そんな当たり前のやりとりが、無性に嬉しく感じられた時間でした。

 

1年半ぶりに聞けた一言

 

実は、この日以降、僕は1年間ほどこの皮膚科に通院することになります。

 

挨拶だけして帰るものアレなので何か薬でももらおうと思い、前から気になっていたイボを診てもらったら、定期的な処置が必要だとのことで、二週間ごとに通院することになったのです。途中から別の治療も始めてもらい、通院はさらに長期化しました。

 

そして先週、ついに診察の最終日を迎えました。

 

「ヒロトさん、これならもう大丈夫でしょう。最後の薬を出しますので、それをつけおわったら終了です」
「ほんとですか。ヤター!」

 

1年にわたって通い続けたこの小さなクリニックは、もはや僕には「告知を受けた場所」ではなく、「いつもの皮膚科」になっていました。待合室で小さな子供たちとにらめっこしたり、受付のお姉さんたちのおしゃべりを観察したり(僕はゲイなので、下心は何もないです)、先生に処置が痛いと駄々をこねてみたり、それを「痛くないですよ(笑)」とあっさりかわされてみたり・・・。皮膚科での時間は、僕の週末の日常にすっかり組み込まれていました。

 

もうここに来ることもないのか。そう思うと、ちょっと寂しい気がしました。HIV陽性者が「陽性の告知を受けた場所に来なくなるのが寂しい」っていうのもなかなか斜め上を行くシチュエーションだな。そう思うと、ちょっと可笑しくもありました。

 

「ヒロトさん」


診察室を出ようとすると、先生が僕を呼び止めました。


「何かあったら、またいつでも来て下さい」

 

それは、1年半前に僕が聞きたくて聞けなかった一言でした。ひょっとしたら、先生にとってもそれは、1年半前に僕に伝えられず心にわだかまっていた一言だったのかもしれません。


外に出てふと見ると、ハンバーガーショップがありました。そうか、長い第一幕がいま終わったんだな。ふとそんな思いが胸をよぎります。

 

歩いて駅前に出ると、大きなレッドリボンが見えました。奇しくも僕が初めてHIVに出会ったこの街で、次の第二幕がいま始まろうとしています。

 

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