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あなたの隣の免疫不全系男子

バスの後ろの席で

毎年11月に開催される日本エイズ学会(学術集会)のプログラムのひとつに、HIV陽性者が学会参加者に向けて思いや意見を語る「Positive Talk」というスピーチセッションがあります。

 

2019年、熊本で行われた第33回大会(http://www.c-linkage.co.jp/aids33/)で、僕はこのPsitive Talkに登壇しました。

 

三年前の告知直後の自分を思うと、いや一年前の自分を考えても、学会でスピーチをするなんて夢のようなできごとですが、いざ何を話そうかと考えたら話したいことは山のようにありました。どうやら僕は、短い月日の間にいろんなことを経験し、考えてきたようです。

 

実際のスピーチ内容に若干の補足・修正を加えて、その全文を掲載します。文字にしたらかなり長くなってしまいましたが、よかったら読んでみてください。感想を聞かせていただけたら嬉しいです。

 

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みなさん、こんにちは。奥井裕斗と申します。東京に住む会社員です。2016年の夏にHIV感染の告知を受けてすぐに服薬を始め、今年で三年になります。

 

感染がわかった当初、僕はその事実を受け止めきれず苦しみましたが、そんな中で「それでも実現したい」と感じたことを「宿題」として心に刻んできました。宿題はたくさんありました。片付く気配すら見えないものもありました。でも、気付けば今日のスピーチが残った最後の宿題です。長いようであっという間だったこの三年のけじめとして、僕のいまの思いを今日は皆さんにお話しします。

 

ただの一個人なのに

 

僕はHIVの感染を知って苦しみました。そして、僕と同じように苦しむ人をたくさん見てきました。多くの場合、それは身体の痛みや辛さではなく、外見に現れた何かのためでもありませんでした。ただただ「自分は恥ずかしい存在だ」という思い、いわゆる「スティグマ」のための苦しみでした。僕の三年間は、スティグマのことを考え続けた時間だったように思います。

 

今では僕も、みなさんの前でこうしてお話しできるくらい回復しています。しかし、スティグマに対するやりきれなさや怒りは、状況を俯瞰できる今の方が深いです。僕は、あるウイルスを持つことになった只の一個人にすぎません。僕の出会った人たちも同じです。それだけのことなのに、こんなにも苦しみ、振り回され、押し潰されてしまう。それを脱ぎ捨てるために、社会という大きなものまで背負うことを期待され、疲弊して、閉じこもっていく。これはいったい何なんだ。どうしてこんなに翻弄されなきゃならないんだ。どうしたら楽になれるんだ。そんな憤りを、僕はずっと感じてきました。

 

自分を誇れないということ

 

スティグマというものを、僕はよく三つに分けて考えます。「自分のスティグマ」「相手のスティグマ」そして「場のスティグマ」です。こう区別することで、自分や相手の心に何が起きているのか整理しやすくなることが多いです。

 

僕の苦しみを決定づけているものは「自分のスティグマ」、つまり自分の中にある「自分を攻撃する心」でした。

 

仮に「相手」や「場」にスティグマがなくても、自分のスティグマがあれば僕は自ら進んで苦しんでしまいます。逆に、自分のスティグマが少なければ「相手」や「場」にスティグマがあっても怒れるし、理解を求めることもできます。

 

HIVを持つ人の苦しみは、ともすれば外部のスティグマ、つまり「相手や場が認めてくれない」ことのせいだと思われがちです。しかし、僕にとっては「自分を誇れない」ことこそが苦しみの出発点でした。

 

自分では自分を描きなおせない

 

こういう話をすると、「自信を持て」と言う人がいます。今風に言えば「自分を愛しなさい」になるでしょうか。世界的に人気を博した米テレビショー「クィア・アイ(Queer Eye)」でも「自分を愛して」というメッセージがたびたび登場していました。

 

しかし、そもそも僕たちは、自分ひとりだけの力で「自分を愛せる自分」になれるのでしょうか。スティグマは、自分で消そうと思って消せるものなのでしょうか。

 

僕は、ずっと自分を愛したいと渇望してきました。自分自身が恥ずかしい存在に思え、「自分にとっての自分」を描きなおしたくて必死にもがいてきました。そんな試行錯誤の末に知ったのは、自分にとっての自分を自分だけの力で描きなおすのは不可能だということでした。自分を描き直してくれるのは、いつも「他人にとっての自分」、他人の目に映った自分でした。

 

言い方を変えれば、僕はありのままの自分を自分の外に晒して初めて自分を上書きできた。誇れない自分から脱するために、いわゆる「カミングアウト」が僕にはどうしても必要だったのです。

 

そのままの僕でいさせてくれたのは「場」だった

 

そして、苦しみながら知ったもう一つの大切なことは、「場の力」でした。

自分にとっての自分が描きなおされるとき、そこにいちばん強く影響したのは、「人」というより「場」でした。自分を「ある人」に見せてその人に受け入れられることより、自分を「ある場」にさらしてその場に受け入れられることの方が、恥ずかしい存在ではなくなるためのより根源的な力になってくれたように思います。

 

場の力を最初に痛感したのは、告知後すぐに検査入院をした入院病棟でした。スタッフさんはみな僕がHIVを持っていることを知っていましたが、どのスタッフさんも他の患者さんと全く同じように僕に接してくれました。今でこそ当たり前に思えるそんな経験も、当時の僕には本当に衝撃で、そのとき初めて「僕はHIVを持った僕のままここにいていいんだ」と思えたことを覚えています。

 

最近では、僕が所属する趣味のサークルでも場の力を強く感じるできごとがありました。僕はサークル内でHIVステータスをオープンにしているのですが、一月ほど前に開かれたそのサークルの飲み会で、大勢の会話の中で友人がこう尋ねてきてくれたのです。「そういえば裕斗、エイズ学会のスピーチってどうなったの?」その一言が自然に出てきたことは、僕にとって染み入るように嬉しいできごとでした。そのときの「場」に、HIVに対するスティグマはありませんでした。友人の言葉は「本当にすべてをオープンにしてここにいていいんだ」とあらためて僕にそう感じさせてくれました。

 

この他にも、通院中の歯科医院とか、通っている職場での年末調整とか、よく行くコーヒーショップや飲み屋さんとか、インフルエンザ予防接種の問診票とか、「個人」というより「場」に対して僕は「恥ずかしいと思っていた自分」を見せてきました。そして「場」の反応を受けて自分を描きなおすたび、場の力というものがいかに大きいかを痛感してきました。

 

個人は場の空気を読む

 

もちろん、僕も1対1のカミングアウトをしてきました。それが大きな自信になったこともありましたし、自分を描き直す力にもなりました。しかし、今になって振り返ると、それは自分を「場」に見せるためのリハーサルのようなものだったのかもしれません。

 

人は「空気を読む」という社会的行動をとることがあります。自分自身のスティグマに向き合っているような人が、場のスティグマはあっさり受け入れてしまうこともある。個人と個人の関係は「場のスティグマ」に飲み込まれかねない不安定さを持つ。カミングアウトを重ねる中で、僕はそんなことを知りました。そして、その不安定さを力強く補ってくれるのが、「スティグマのない場」の存在だったのです。

 

先ほどお話した「クィア・アイ」でも、自分のコンプレックスをオープンにした主人公を認め、受け止めてくれるのは「ファブ・ファイブ(FAB 5)」と呼ばれる5人組、つまり個人ではなく「場」でした。場の力というのは、僕個人の経験を越えた普遍的なものなのかもしれません。

 

勇気が場を残してくれる

 

では、そのような「スティグマのない場」はどうすれば作れるのでしょうか。

そもそもの前提として、僕はそうした場が世の中にすでに存在していると考えています。もちろん、それが極端に偏在していること、地域や年代の激しいムラがあることは十分に承知しています。ただ、「世の中は隅から隅まで偏見と否定に満ちている」という見方もまた、捨てるべき思い込みだと思うのです。

 

僕がHIVを持つ自分を場に見せたとき、何度となく聞いた言葉があります。それは「自分の知っている人にもHIVを持っている人がいる(いた)」という言葉です。僕がスティグマのない場に出会うことができているのは、何十年にもわたり、いろんな人たちがいろんな形で勇気をふりしぼって、自分自身を可視化してきてくれたその結果なのだと思います。「スティグマのない場」は、最初からそこにあったものでもなければ、運良くそこにあるわけでもない。あるべくして、いまここに存在しているのです。

 

だとしたら僕も、たとえできることは小さくとも、後の世代が少しでもムラのない世の中で暮らせるように、いま僕がいるような場が少しでも広がるように、傷を少なく負った者の役割として、これからも自分を可視化していきたいと思っています。

 

烙印と妄想の板挟み

 

こう言うと、「じゃあみんなカミングアウトすればいい」と言われてしまいそうです。これについては、この場でハッキリと伝えさせてください。カミングアウトは、リスクを伴います。そのリスクから自由である他人が無責任に勧めることはできないと考えます。

 

そうでなくても、僕たち陽性者自身の心の中の恐怖は、とても強いものがあります。「自分は恥ずかしい存在なんだ」という負の烙印と、場が自分を決して受け入れてくれるはずがないという妄想。その板挟みの中で煮詰められる「バレる恐怖」がどれほど鋭くつらいものであるかは、他でもない僕自身が自分の経験を通じていやというほど知っています。

 

この板挟みの中で死んでしまう人だっています。

 

HIVは死なない病気になった、と言います。HIVを持っていても普通の暮らしができると言います。戦略的な、マーケティングとして有効な言葉であることは理解していますし、僕自身もこの言葉を使います。たしかに、「医療のせいでは」死ななくなりましたし、「病院の中では」死ななくなりました。しかし、病院の外では、医療以外の理由では、いまも陽性者が命を絶ち、歪んだ板挟みの中で苦しみながら仮面をつけて暮らしています。それが本当に「死なない病気」で「普通の暮らし」なのでしょうか。僕はこうした言葉を心から言えたことは、これまで一度もないように思います。

 

先輩たちのあきらめ

 

僕たちはこの恐怖からなかなか抜け出せません。それは、個人的な成功体験、HIVを持つ自分が他人や場から受け入れられたという経験の絶対数が足りないことも大きな理由でしょう。しかし、それだけでしょうか。僕は、僕たち陽性者自身がまるでコンセンサスのように、大前提のように持っている「あきらめ」もまた、自らの行動に大きな影響を及ぼしていると感じています。どうせ自分はずっと日陰者なんだ。どうせ恥ずかしい自分でいるしかないんだ。そんな言葉を、僕は幾度となく聞いてきました。

 

あきらめを作っているものは、何なのでしょうか。そのひとつは、他でもない「先輩陽性者の皆さんのあきらめ」のように僕は思います。カミングアウトの悩みを話すとき、先輩たちの間で僕はいつも変わり者扱いでした。「言う必要なんてない」という言葉もまた、僕が数え切れないほど聞いた言葉のひとつです。

 

後ろに座って満足するな

 

そしてもうひとつ、ここにいる皆さんの「やさしさ」にも、あきらめのもとが潜んでいるように僕は感じています。

 

たとえば、HIVを持つことを周りに伝えるべきか僕が悩んでいるとき、皆さんがかけてくれたのは「言わなくてもいいんですよ」という言葉でした。歯医者さんに行くと言ったら「陽性者が通える歯医者さんのリスト」を見せてもらったこともあります。陽性者の会合をするのに、表に団体名を敢えて貼り出さない。病院の待合を、他の患者さんと別にする。薬はラベルをはがして渡す…。

 

こうした「特別な」配慮がどれも皆さんのやさしさであること、皆さんが僕らを護ろうとしてくれていることは、本当によく分かります。皆さんの思いが真摯であることも、痛いほど感じます。こうした対応が必要な状況があることも理解しますし、実際に僕も護られてきた一人です。

 

しかし、こうした対応はあくまでも非常時のシェルターであり、道具のひとつであり、プロセスだと思うのです。ゴールでもなければ、考え方のベースでもないと思うのです。

 

ハーヴェイ・ミルク(Harvey Bernard Milk)という人をご存知でしょうか。米国でゲイ男性として初めてセクシュアリティを明らかにして公職に就いた人ですが、この人の有名なスピーチに次のような一節があります。

 

バスの後ろに乗って満足するな(NOT be content to sit in the back of the bus)

 

かつて人種による差別が社会制度に強く残っていた米国で、白人以外の人たちはバスに乗るとき Colored Section という決められた座席に座らなければなりませんでした。それは、たいていバスの後ろの方にありました。ミルクは、そこに座ることで満足してはいけないと指摘したのです。

 

僕たち陽性者は、バスに乗ることができています。それは、多くの方たちの真摯な努力の結果です。でも、そこで満足してしまっていいのでしょうか。ここに座っていればいいんですよと Colored Sectionを教えてくれる皆さんのやさしさが、僕たちに何かをあきらめさせていないでしょうか。

 

あきらめない僕たちにアップデート

 

HIV・AIDSの世界で「アップデート」ということが最近よく言われます。それは、常に社会に向けて呼びかけられているように見えます。しかし、アップデートが必要なのは社会だけでしょうか。 僕は、僕たち陽性者もまた「あきらめない陽性者」にアップデートすべき時代になったと思っています。そして、皆さんのやさしさもまた、アップデートを考えてみてほしい。

 

僕も告知から四年目を迎え、「先輩陽性者」の立場になることも増えてきました。僕は「あきらめない陽性者を応援する先輩」でありたい。そして皆さんのやさしさもぜひ「あきらめない陽性者を応援するやさしさ」にアップデートしていただければと思っています。

 

死なない病気になりました。普通の暮らしができます。心からそう言える日が来ることを、僕は信じています。

 

ありがとうございます。

 

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スピーチを終えると、思った以上に多くの方からご質問をいただきました。その一部は、今回のスピーチ掲載にあたり、本文を補完・修正するときの参考にさせていただきました。

 

今回、大勢の皆さんの前で自分の声で自分の思いを伝えきったことは、思っていた以上に僕自身を自由にしてくれました。後で振り返ったとき、あのスピーチが転機だったと未来の僕は思い出すのだろうと、今から予感しています。もしHIVを持つ人で少しでもスピーチをすることに関心のある人がいたら、来年の学会で思い切って応募してみることを強くお勧めします。あなたにとって意味のある大きな転機になることを、僕が約束します。

 

すばらしい機会をくれた日本エイズ学会に心から感謝します。そして、スピーチを聞きに来てくださったすべての皆さんと、一緒に登壇した二人の仲間に、最後にもういちど心から感謝の言葉を伝えさせてください。本当にありがとうございます。

 

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