カミングアウトを受け入れるのは誰か
LGBTのカミングアウトって、僕らみたいな「平凡な会社員」がやってこそ意味があると思うんです。
バーで隣り合わせた人が、そんなことを言いました。なんで会社員なの?と聞いたら、彼はこう答えました。
アクティビストの人とか、ゲイバーのママみたいな人って、自分の責任で多様な人とつながって仕事してるから、カミングアウトのリスクや敷居がそこまで高くないと思うんです。でも、会社員って一つの組織に依存しつづけなきゃならないじゃないですか。唯一の依存先を失うかもしれないって考えたら、簡単には言い出せない。だからこそ、そんな人たちがカミングアウトして受け入れられることって大切だと思うんです。
なるほどな...と思いました。
僕も会社員で、ゲイで、それを隠していた時期もあります。彼の言葉には、共感するところがありました。
もちろん会社員が「平凡」なのかという問いは残りますし、カミングアウトのしやすさを単純に比較するのも難しいでしょう。
ただ、会社相手のカミングアウトに特有のハードルというのは、確かにあるように思います。
会社員にとっての会社。それは、自分が所属し、唯一の給料を受け取っている場所。カミングアウトをして万が一失敗すれば、自分の居場所と収入源をいちどに失いかねません。
そんな会社組織が追求するものは、あくまでも「協調」や「合理性」。「でもすごくいい人なんですよ」といった声は、「私情」として片付けられがちです。
会社にカミングアウトすることや、それを受け入れられたり拒絶されたりすることは、個人に対するカミングアウトとは若干違った意味を持つ。ずいぶん前から、僕はそんなことを感じていました。
誤解をおそれずざっくり整理すれば、誰かのカミングアウトを個人が受け入れるのは、「私の大切なあなただから」という話に結局は行き着くのかなと。
これに対して、カミングアウトを会社が受け入れるのは、「それを否定することに合理性がなく、協調を乱すとも認められないから」みたいなロジックで、発想というか、判断基準が少し違うように思います。
どちらが重要か…という話ではありません。社会の受入れは両方の側面から進む必要があるんだと思います。
ただ、昨今のLGBTブームの中で、個人へのカミングアウトが注目される一方、会社の話はなかなか見えてこない。隣の彼もそのあたりがもどかしかったのかもしれません。
HIVも同じこと。「私たちは受け入れます」という表明が、組織からもっと出てきてくれるといいなと思います。
もっとも、こちらはゲイに比べると、個人間のカミングアウトや受入れの事例すら多く知られていません。でも、それは表立って語られないだけで、実際には意外と多くの事例が確実に積み重なりつつあるようにも感じられます。
臨界点は割とすぐにやってきて、受入れも一気に進むんじゃないか。そんな楽観的な期待もしています。