HIROTOPHY / 会社員ヒロトの免疫低めブログ

東京在住の会社員ヒロトのブログです。

東京を離れ山奥の温泉で一人きりになったら

病気がわかって以来、旅行に行くのがずっと怖かった。

 

すでに一年以上が経っているし、重く沈んでいた気持ちも今ではずいぶん晴れやかになった。病気とどう向き合うべきか、自分なりの立ち位置もつかめてきた。最近生き生きしてきたなと自分でも感じる。

 

それなのに、依然として心の片隅に落ち続ける翳り。いつまでも片付かずに放置されている宿題。

 

それが、「旅行に行くこと」だった。

 

旅行の何が怖いのか、自分でもよくわからない。「何か」が起きたらどうしようという恐怖のようだけど、それが何なのかわからない。

 

旅行の誘いがあるたびに、仕事が、気持ちが、と自分に言い訳をしてきた。半ばやけくそになって「行けばいいだけじゃん!」とバスターミナルまで出向いたこともあったが、結局「まあ今日じゃなくてもいいか…」と踵を返した。

 

自分でもバカバカしかったし、この窮屈な感覚から早く解放されたかったけど、やっぱりこの街・東京を離れるのは怖かった。旅行に行かなくても毎日の生活に何ら不自由はなく、旅行に対する僕の気持ちはずっと後ろ向きのままだった。

 

夏休み二日目。

 

バブリングバーで他愛もないおしゃべりをしているとき、知らない温泉地の名前が飛び出した。九州の山奥にあると言う。行ってみたいな。そう思ったが、いつものようにすぐに心に蓋をした。いつか行けたらいいよねと、お茶を濁した。

 

ところがバーの帰り道、僕が旅行にしり込みしていることを知っているスタッフさんから、こんなメッセージが届いた。

 

「旅行は無理せず、行きたくなったとき行ってみてください」

 

そのさりげない優しさに思わず胸が熱くなった。そして、自分はいつまでこんな茶番を続けるんだという腹立たしい気持ちが湧いてきた。行ってみよう。聞いたこともなかった九州の山奥の温泉。いいじゃないか。そう考えると、久しぶりに胸が躍った。

 

今しかない!

 

家に戻り、すぐに飛行機と宿を予約した。バスの時刻表を調べたら、山奥だけあって、思った以上にアクセスが悪い。大丈夫かな…。一瞬よぎった不安を、あわてて振り払う。お前はいつまで意味のない不安に振り回されるつもりなんだ。

 

数日後、僕はおそるおそる一泊二日の一人旅に出発した。

 

告知後はじめての空港。
告知後はじめての保安検査。
告知後はじめての飛行機。

 

何も起きなかった。

 

ひょっとして途中でパニックになるんじゃないかとか心配もしていたのだけれど、まったくそんな気配はなかった。いったい僕が怯えていたものはなんだったんだろう。

 

深い緑の中の温泉街は、すばらしかった。浴衣に着替え、のんびり気ままに露店風呂をめぐった。翌朝の薬を飲むときに違和感がないかと心配していたが(こうやって書いていると、我ながらどんだけ心配性なんだと思うが...)まったくそんなことはなく、むしろ長い間の足かせがやっと外れたことへの喜びで胸を熱くしながらトリーメクを呑み込んだ。

 

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バスの出発まで時間があったので、宿の人に聞いて、別の宿の温泉に入りに行った。もともと人が少ない温泉街だが、昼前ということもあって通りは更に閑散としている。

 

教えられた道を行くと、緑の生い茂った敷地の中に茅葺の脱衣所があった。木の扉を開ける。古びた、しかし清潔に管理された脱衣所の向こうに薄暗い森が広がり、その奥には広々とした露天風呂があった。ところどころに木漏れ日が差して、湯気を照らしている。辺りは一面、虫の声と鳥の声。お客さんは、誰もいない。

 

服を脱いで、お湯に入った。淵の岩に頭を乗せ、遠慮なく手足を思い切り大の字に伸ばして、頭上の木漏れ日をながめてみた。

 

安らかで、幸せだった。身体一つの自分と、自然。それしかない。久しぶりに自由である気がして、思わず笑みがこぼれた。

 

ハッとした。

 

そう、僕が恐れていたものは、旅に出ることではなかった。恐れていたのは、人と人が繋がって構成される、自分が組み込まれた「日常」であり「社会」だった。

 

その日常と社会から解き放たれた時間は、こんなにも心穏やかで、のびのびとして、精気にあふれている。この事実だけで、証明は十分に思えた。

 

高密度に張り巡らされたつながりの中で、僕は足がすくみ身体が硬直して、動けなくなっていただけだったのだ。

 

旅に出て、一人になって感じた安心感。

 

それは、社会や日常から疎外されることを恐れ、社会に組み込まれよう、寄り添おうと必死で食らいついてきた一年間の反動だったのかもしれない。あるいは、過密都市・東京の真ん中でHIVの告知を受け、東京にしがみついていた僕には、社会を意識せず「一人でいられる時間」があまりにも少なかったのかもしれない。

 

いずれにしても、僕は旅に出るべきだった。それも一人でいられる遠いところへ。

 

思いがけず宿題を「正しく」片付けたうえに、思いがけずおまけの気づきまでもらったこの旅行は、紛れもなく二年目の僕の忘れられないできごとになると思う。

 

また来よう。でも今度は、一人旅じゃなくても、もう大丈夫かもしれない。