HIROTOPHY / 会社員ヒロトの免疫低めブログ

東京在住の会社員ヒロトのブログです。

グレープフルーツ

訪問先との約束まで時間があったので、ランチでも食べようと同僚くんと中華料理屋に入った。円卓には中国茶がセットされていて、蓋を開けると、茶葉やら穀物やら木の実やら正体不明のいろんなものが中に入っていた。

 

店員さんがお湯を注ぐと、中国茶の独特な香りがあふれた。

 

「ヒロトさん、これかなり美味しいですね」

 

同僚くんはご満悦の様子だが、僕はひと口だけ飲むふりをしては後は口をつけなかった。この手は苦手なのだ。一年前から。

 

僕は「トリーメク」という抗HIV薬を毎日飲んでいるが、その血中濃度を下げてしまう食品が薬の添付文書に二つ示されている。

 

  • セイヨウオトギリソウ(セント・ジョーンズ・ワート)
  • 鉄剤やカルシウムを含むサプリメント

 

抗HIV薬の場合、血中濃度が下がるとウィルスが耐性を獲得して薬が効かなくなるリスクがあるので、こうした食品は避けなければならない。

 

鉄やカルシウムのサプリメントのほうは、対応できる。意図せず摂取してしまう状況は考えにくいので、単純に意識して避けていれば良いだけの話だ。

 

しかし、もうひとつの「セイヨウオトギリソウ」というハーブは少し厄介だ。メジャーな食品ではないので、どんなところに使われているのか見当がつかない。唯一可能性が高そうなのはハーブティーだが、どんなハーブが使われているのかよくわからない状態で提供されることも多い。

 

そこで僕は、中国茶やハーブティーなど「それっぽいもの」を、ひたすら避けている。

 

同僚くんがおいしそうに中国茶を飲むのは多少なりとも羨ましかったが、それでも我慢のおかげで薬の血中濃度が下がる事態を避けられたはずだ。それでよしとするんだ、と自分に言い聞かせて気持ちを鎮めた。

 

おいしい中国料理をいただき腹ごしらえができたところで、僕は同僚くんといっしょに訪問先の外資系企業に向かった。

 

立派なオフィスビル。入館手続きを済ませて部屋に通されると、そこには小さなジュースの紙パックが置いてあった。さすが外資系、おもてなしもスマートである。

 

早速いただこうと手をのばすと、それはグレープフルーツジュースだった。

 

静かに手を引っ込めた。なんてこった。今日は当たり日だ。こんなに連続して登場するなんて。

 

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グレープフルーツは、いくつかの抗HIV薬の血中濃度を上げてしまうらしい。もっとも、トリーメクの添付文書にはグレープフルーツへの言及はなく、避けるよう誰かに言われたこともない。つまり、僕が勝手に不安がっているだけなのだが、同じ病気の薬の話、どうしても気になってしまう。

 

「これ、取り替えてくれないかな」

 

その一方で、同僚くんへの一言を僕は言いあぐねていた。頭では無意味だとわかっているこの架空の禁忌事項のために他人にお願いをすることがとてもバカバカしく、またしてはいけないことのように感じられた。

 

根拠のない不安を消しきれない。そして周りには何も伝えられない。

 

ふと、HIVと向き合う自分の現在地を、グレープフルーツがそのまま映し出しているなと思った。そう考えると、目の前の紙パックも、僕が克服すべき壁、飲み干してなくしてしまうべき幻影のようにも思えてくる。

 

「どうもお待たせしました」
「初めまして。よろしくお願いします」

 

中国茶の中身、こんどは店の人にちゃんと聞いてみよう。グレープフルーツも、いちど薬剤師さんに聞いてみよう。思いがけずちょっとすっきりした気持ちになって、僕はプロジェクターで映し出された画面に目をやった。