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あなたの隣の免疫不全系男子

「HIVに感染したら」で検索している不安でいっぱいのあなたへ

HIVに感染したかもしれない。そんな不安を抱える人は、少なからずいると思います。これを読んでいるあなたが、まさにそうかもしれません。

 

「HIV」

 

Googleの検索窓に入力すると、「HIV 初期症状」とか「HIVに感染したら」とか、不安が垣間見えるキーワードがサジェストされます。Google のサジェスト候補は、ユーザーが入力した検索ワードを集計して自動表示されるらしいです。つまり、それだけ多くの人がHIV感染に不安を感じて、必死に検索しているわけです。

 

中には、不安を通り越して恐怖を感じている人もいるようです。恐怖に必死に耐え、焦燥しきった様子のコメントをネット上で見ることも珍しくありません。

 

正直に言うと、フクザツナキモチです。

 

僕はいわゆるHIV陽性者、つまり「HIV検査で陽性の結果をもらった人」です。検索する人たちが恐怖しているのは、まさに僕の今の状態なわけですが……。

 

僕って、そんなすごいことになってるのかな?

 

あなたも、いちど立ち止まって考えてみてください。HIVに感染することを、あなたはどうしてそこまで「怖い」と思うのでしょう。

 

どうして検査が怖いのか

 

おそらく、怖いのは「イメージ」です。HIVの検査を受けて陽性の結果が出ることを「命の期限」「壮絶な闘病」といったおどろおどろしいイメージでとらえている人が多いと思います。

 

だとしたら、あなたのそのイメージはどこから来たのでしょう。HIV陽性の友人や知り合いがいて、壮絶な闘病を続け苦しむのを見たり聞いたりしたのでしょうか? すぐに亡くなってしまったのでしょうか? たぶん違うと思います。考えてみると、「具体的な根拠」は特に何もないのです。

 

では、このイメージは何でしょう?

 

誤解を恐れずに言うなら、これは日本社会全体が共有している「壮大な思い込み」です。

 

数十年前、AIDSはどこにも治療法がない、一度かかれば数年内に必ず死んでしまう文字通りの死の病でした。当時、世界中が「事実に基づく恐怖」に震えました。

 

ところがその後、研究にブレイクスルーが訪れ、血中のHIVを激減させて免疫を回復させる治療法が確立します。その結果、治療がうまくいっているHIV陽性者は一般の人と変わらぬ寿命を得ることになり、HIVを他人に感染させる実質的な可能性もなくなりました。薬の服用法や副作用も、日常生活に影響がないレベルになりました。社会制度や治療体制も整いました。

 

つまり、普通の病気になったのです。

 

もちろん良いことなのですが、問題の背景もまたここにあります。

 

「死の病」という言葉はゴシップ性が強烈で、人々の関心をひきます。しかし、死の病が「何でもない普通の病気になった」という話はゴシップ性に欠け、面白みがありません。

 

その結果、恐怖のイメージを撒き散らした人たちはその回収を怠り、すでに恐れる必要がなくなった「恐怖の残骸」だけが社会に放置されました。

 

そう。それが、HIVに対するあなたのイメージです。

 

僕は、HIVを持っています。

 

一度でも僕に会ったことがある人ならわざわざ説明するまでもない話ですが、僕はそのへんをテクテク歩いている、どこにでもいる平凡な好青年です(※ 個人の感想です)。毎日それなりの幸せとやりがいを感じ、それなりの不満や愚痴もこぼしながら仕事をして、サンドイッチを食べ、酒を飲み、ジムに行き、服を選び、あなたと同じような普通の日々を過ごしています。

 

壮絶でも、悲惨でもありません。

 

僕が特別なケースというわけではありません。HIV陽性者と呼ばれる人たちの大部分は、僕と同じような平凡に暮らすお兄さんやおじさん(ときになお姉さんやおばさん、お年寄りや子供たち)です。

 

今の日本で状況の明暗を分ける境界線は、HIVステータスが「陰性か、陽性か」というところにはありません。検査結果は分かれ道ですが、どちらに進むことになってもその先の景色は変わらないのです。

 

HIVを持っていることがわかったら、治療をする。令和の日本においては、ただそれだけの話です。 

 

本当の分かれ道

 

では、もう安心なのでしょうか。

 

そうではありません。右と左で景色がガラリと変わる分かれ道は、実は別のところにあります。

 

たしかに、HIVは普通の病気になりました。でも、それは「コントロールの方法が医学的にわかった」という話に過ぎず、そのコントロールを行なっていない人にとってウイルスの脅威は数十年前と何も変わりません。ウイルスは、昔と同じように猛威をふるいます。

 

令和における分かれ道は一体どこなのでしょう?。それは、HIVを持っていることを「病気が進む前に検査で知る」か、「病気が進んでから症状が出ることで知る」かの分岐です。

 

検査で知る道を進めば、その先の景色は検査で陰性だった人と何ら変わりがありません。すでに病気はコントロールできるからです。

 

ところが、症状が出てから気づく道を進んだ場合は様子が違ってきます。他の病気と同様、HIV /AIDSもまた病気が進行しすぎればコントロールが効かないのです。

 

HIV検査

 

様々な場所で目にするその言葉に触れたとき「受けてみよう」と思うか「関係ないや」とやり過ごすか。そこが、令和を生きるあなたにとって本当のわかれ道なのです。

 

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迷いこそがリスク

 

「検査を受けてHIVに感染していたらどうしよう。そう思うと、不安で夜も眠れない」

 

だからこそ僕は、こんな言葉を見るにつけ、もどかしさでいっぱいになります。

 

感染不安に苦しむ必要などないこと、迷って検査を受けられずにいる時間こそが最大のリスクだということを、どうすればわかってもらえるのかと歯ぎしりします。

 

できることなら、その人の目の前に現れて、「治療すればこんなに普通だよ!何も変わらないよ!」と歌って踊る姿を見せてあげたいくらいです(※ 僕は平凡な会社員です)。

 

あなたはいま、HIVの検査が怖くて立ちすくんでいるのかもしれません。

 

でも、心配しないでほしいのです。仮にHIVを持っているとわかったときにも、あなたが思い描く暗澹たる悲惨な状況はあなたの人生に訪れません。

 

自分で作り上げたイメージに、自分で勝手に苦められていませんか。考えの出発点になっている「イメージ」の根拠を、いちど疑ってみてください。

 

検査を通じて自分の身体の状況を明らかにし、「検査を受けてよかった」とあなたが笑顔で誰かに伝えてくれることを信じています。

 

不安は電話で相談できる

 

最後に、電話相談の窓口を紹介しておきます。僕も利用したことがあるオススメの相談先です。何かを強要されるようなことは、一切ありません。気軽に電話して、あなたの迷いや不安を心ゆくまでぶつけてみてください。

 

できれば、ここでも聞いてみてください。HIVに感染した人の普段の暮らしってどんな感じですか?と。回答者にセンスがあれば、正しくこう答えてくれるでしょう。

 

「普通に歌ったり踊ったりしてますよ」

 

ptokyo.org

*  *  *

先日、検査に恐怖を感じている人から相談のメールをもらって、いろいろ説明しているうちに「これはみんなに話したほうがいいな…」と思って書きました。

 

僕の言いたいこと、少しは伝わったかな。

 

ありがとう

友人が、この世の生を閉じた。

 

友人と言っても、陽性者のミーティングで何度か顔を合わせただけの仲だ。

 

何度か顔を合わせただけと言っても、感染がわかった直後の、いちばん深い暗闇の中で出会った仲だ。

 

忘れられない仲だ。

 

同じ衝撃に打たれ、同じ傷を負った人たち。告知の直後に出会えたことで、僕らはお互い、どれだけ救われただろう。

 

心の奥に渦まく、言葉にならない言葉を何とか絞り出し、一つずつ場に出し合う。そんな時間を過ごすうち、僕らは笑顔の仲間になった。

 

ミーティングは数回で終わったけれど、僕らはLINEグループを作って会話を続けた。後日、みんなで集まって飲みにも行った。でも、二回目の飲み会は彼が欠席した。その次の飲み会は、僕が欠席した。

 

何もなければ交わることがなかった、いくつかの線。HIVによって偶然に交わった線は、次に交わる日をを確約することなく散って行く。

 

そして、ひと月も遅れて。

 

僕らと彼、病気と社会、僕らと病気の間の距離を表わすかのような分厚い時間を間にはさんで、僕たちはその線がもう同じように交わらなくなったことを知った。

 

HIVによって。

 

HIVと死が現実で結びつくなんて、昔話だと思ってた。

 

2018年において、統計的にはごく稀。きわめて僅か。でも、例えどんなに僅かでも、その僅かに属する一人が僕の隣にいるなら、それは稀じゃない。すべてだ。

 

初めて会った日、障害者になることを嫌がる僕らに、「もっと辛い日々を過ごす障害者の人たちを思うと、障害者を名乗ることが申し訳ない」と言った彼。

 

年明け、自身の幸せばかり祈ってきた僕らに「みんなの健康を祈ってきたよ」と言った彼。

 

腹立たしい。

 

いまこの病気が、無性に腹立たしい。

 

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数えるほどしか交わさなかった、彼との一対一のLINE。ブログとかやらないの?と聞いたら、表現するのは苦手だと言って、こう続けた。

 

「人にも自分にも批判的になっちゃうんですよね。」

 

僕は。

 

僕はいつも君の前で、自分の小ささが恥ずかしかった。

 

ブログを書こう。そして、自分を責めるまい。他人を責めるまい。僕にできる数少ない君への恩返しは、きっとそんな姿を見てもらうこと。

 

君に出会えて、ありがとう。

 

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免疫に声をかけたら

HIVを持っていると知らされてから暫くの間、体調を崩してしまうことが心配だった。

 

なにしろ、一般の人の3分の1しか免疫力がないという。お医者さんにも、体調管理をしっかりするよう釘を刺された。もっとも、その内容は「手洗い・うがいをして、生ものは避けて」という一般的な指示ではあったけれど。

 

できることは、片っ端からやった。先生の言う衛生面はもちろん、食生活、運動、睡眠から入浴、日光浴、ストレッチ、呼吸に至るまで、とにかく調べて実践しまくった。

 

努力の甲斐あってか、体調を崩すことはなかった。でも、いま思えば相当に神経質な日々だった。

 

体調管理をしているのは僕じゃない

 

不自然な頑張りは、続かないもの。

 

やる気が薄れてきた一年後、僕は遂に風邪をひいた。それも39℃級のヤバイヤツ。あまりに症状が華々しくインフルエンザと確信したけど、病院の診断は「ただの風邪」だった。

 

漢方薬が処方されたが、長引いたときに使えばいいやと、ひとまずそのまま薬箱にしまった。

 

HIV告知以降 初めての体調不良。一晩寝ても、病状は変わらない。僕は、このままこじれていくことを覚悟した。

 

しかしその後、朝より昼、昼より夕方と、体調は確実に回復していった。身体が軽くなり、食欲が湧き、気力が満ちてくるのがわかる。薬は飲んでいない。あきらかに、これは自力での回復だ。

 

ちゃんと治っていくじゃん!

 

免疫が弱くなっているはずの僕の身体が「僕を守ろう、回復させよう」としっかり働き、実際に体調を回復させている。その姿を目の当たりにして、僕は新鮮な驚きと、ある種の敬意を感じた。

 

それまでの僕は、自分で自分の体調を管理しようとしていた。でも、僕の体調を管理しているのは、実は僕というより「僕の身体」だった。僕にできることは、身体がスムーズに体調管理できるよう手助けすることなのである。

 

そう気づいたら、体調管理に神経質だった日々が滑稽に思えてきた。そして、自分の身体がやたらと愛おしくなった。

 

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身体に話しかけることが体調管理

 

僕の身体は、おそらく怒り心頭だろう。ゆとりを持って十分に準備してあった免疫を、勝手にここまで破壊されてしまったのだから。

 

それなのに、文句ひとつ言わず、しっかりと僕の体調を整えつづけ、崩れかければ全力で立て直してくれる。ほんとうにありがたく、申し訳なく、さすがにこれ以上の苦労はかけられないな…と思う。

 

いつごろからだろう。気づいたら、僕は折にふれて身体に話しかけるようになっていた。遅くまで残業した日には「ごめん、疲れたよね」。ガツンと飲みたいときは「今日だけ無理させて!」。湯船につかれば「気持ちいいかな?」。寝る前には「今日もありがとう」。

 

何か子供の遊びのように見えるかもしれないが、そうやって身体に関心を向け、身体からの呼びかけを感じ、身体に無理させないように行動をコントロールすることが、いまの僕には合理的かつ無理なく続けられる「体調管理」になっているように思う。

 

これからも身体に関心を寄せ、身体を思いやろう。酷い目に遭わせてしまった僕の免疫からも「俺はヒロトの免疫でよかったよ」と、いつの日か言ってもらえたらいいな。

 

さすがに免疫からは無理かな…。← 後ろめたさ

 

今週のお題「体調管理」

 

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2018年、僕は戻ってきた僕のために走ろう

はてなブログの今週のお題「2018年の抱負」について書こう。

 

実のところ、新年の抱負は特にないのだけれど(1年という区切りで個人的な目標を立てることに意味を感じていない…)、あらためて「いま何がしたいんだろう」と考えてみたら、いま最大の関心事は「僕自身」だった。もっと健康で、幸せで、充実した時間を過ごしたいと考えている。

 

そんなの当たり前だろ!と言われそうだが、僕にとっては当たり前ではないのだ。むしろ、関心が「ただの僕」にきちんと戻ってきたことが興味深くすら感じられる。

 

一昨年の夏

 

僕は、自分のHIVステータスが陽性だと知った。そして、いちばんの関心事は自分の病気になった。

 

正確に言うと、「自分の病気」と言うより「病気の自分」が関心事だった。ついさっきまで、僕は「ただの僕」だった。それが突然「僕=病気」になってしまったのだ。無関心ではいられない。

 

僕は四六時中、大嫌いな「病気の僕」のことばかり考えていた。治療薬の劇的な進歩で、死ぬ心配はおろか寿命が縮まる心配もなく、一日一錠飲む薬には激しい副作用もなく、健康な人と何も変わらない普通の生活を続けているにもかかわらず…。

 

しばらくすると、「病気の自分」と「周りの人」とのつながりが関心事になってきた。通院中の歯医者さん、いちばん最近付き合っていた元彼、高校からの友人たちと、少しずつカミングアウトをしていった。

 

やがて、自分と同じような他人、つまり「病気である誰か」へと、僕の関心は広がっていった。ちがう国に住む誰か。子供だったりお年寄りだったりする誰か。女性である誰か。異性愛者である誰か。血液製剤で感染した誰か。治療法がないころ感染して今はいない誰か。これから感染する未来の誰か。

 

このころから徐々に、病気は「僕」ではなく「病気」として抽象化されていった。HIVと社会の関わりに関心が出てきて、フォーラムやセミナーがあれば聞きに行き、インタビューがあれば受け、NPOのボランティア活動を開始して、日本エイズ学会にも参加した。ブログツイッターを始め、バブリングSOARなど横軸で考える団体にも関心を持った。

 

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そして迎えた2018年。

 

あらためて「今年の抱負は?」と聞かれ、僕は自分の関心事が「自分自身」に戻ってきたことを知った。

 

HIVの告知直後も、頭の中は「僕」のことでいっぱいだった。ただ、あのときの僕は忌まわしい存在、消えてしまいたい「病気としての僕」だったけれど、今の僕は大切に思える存在、もっと幸せになるべき「僕である僕」だ。

 

そう、いつのまに、僕は「ただの僕」に戻っていた。ちょっとびっくりして、そして嬉しかった。

 

病気を僕から切り離し「なかったこと」にしたように見えるかもしれないが、実際の感覚はむしろ逆で、今まで外部に全身投影して受け入れを拒んできた病気を自分の一部として受け入れられたからこそ、僕は「ただの僕」に戻れた。

 

誰もがそうであるように、僕という人格を構成する要素は星の数ほどあり、そのひとつとして免疫機能不全という病気はおさまっている。僕を説明する言葉の中に、HIVは含まれる。でも「僕=病気」じゃないし、そもそもHIV陽性者なんて人格はなく、僕はやっぱり「ただの僕」だ。

 

2018年の僕の抱負。

 

それは、「ただの僕」として、免疫機能不全という要素も含んだ「ただの僕」として、もっと健康で、幸せで、充実した時間を過ごすことだ。

 

これからも僕はHIVを軸とした活動に参加するだろうけど、「大嫌いな自分たちの不幸を緩和するための活動」ではなく、「大切な自分たちの幸せを最大化するための活動」としてコミットしたい。その面からも、まずは僕自身の日々が笑顔で生き生きとしていなければ始まらない。

 

「で、ヒロトくん具体的には何をするの?」

 

そのあたりは順次ブログで発信していくので、ぜひ当ブログ「HIROTOPHY」を毎週チェックしてもらいたい!読者になるのもいいかもしれない…〔プロモーション〕

 

みなさん、今年もよろしく!

 

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薬物依存症:ケンジ君の疑問、それは僕の疑問

TOKYO AIDS WEEKSの「ナルコティクス アノニマス・オープンミーティング」に行ってきました。

 

ナルコティクスアノニマスというのは、薬物依存症の人たちの自助グループの名前です。普段は当事者の人たちだけが集まるミーティングを開いているそうですが、今回はオープンミーティング、つまり関心があれば誰でも参加できる形で開催されていました。

 

薬物注射はHIVの感染経路の一つで、HIVをめぐる議論の中で薬物を使用する人を意識した話はよく出てきます。薬物使用者向けのHIV予防施策とか、薬物を使用するHIV陽性者の心のケアとか……。

 

でも、今回僕が関心を持ったのは、それとは少しちがった切り口でした。

病気なんだよ

最近まで、僕は薬物依存に特別な関心を持っていませんでした。芸能人が逮捕されたとき、ワイドショーで話のやりとりを眺めるくらいのスタンス。

 

テレビの中の反応は、いつも同じでした。

 

薬物に手を出すのは人として恥ずべきこと。手を出したら深く反省するのが当然。二度と使わないと悲壮な決意を表明すべき...。そんな定型的な文脈の中で、薬物依存症の人はあたかも「遠慮なくディスっていい人」のように語られていました。

 

でも、HIVが自分ごとになってもがき苦しむ中で、ふと気づきました。

 

この「出会ったことがない(と僕は勝手に思いこんでいるけれど、実際にはどこかで出会っているのであろう)薬物依存症の人たち」に向けられる世間の視線が、HIV陽性者に向けられるそれとよく似ていることに。

 

きっかけは、高校時代からの友人・メガネ女子の一言でした。

 

「薬物依存の人は病人なんだよ」

 

ハッとしました。

 

そう、薬物依存「症」。犯罪であるだけではなく、いや犯罪である前に、これは病気。それも、完治しない病気。

 

その視点がまったく抜け落ちていたことに僕は愕然とし、なんて酷いことを今まで考えていたのかと恥ずかしくなり、偏見に無自覚だったことにただうなだれるしかありませんでした。

 

それ以降、アディクトの人たちの気持ちを想像すればするほど、自分と似ているように思ってきました。完治すると言いきれない病気を抱えてしまった絶望、社会から忌まわしい存在と見られる悲しさ、自業自得と非難されるくやしさ、内部スティグマのつらさ、そして周囲の理解が得られようと得られまいと病気と戦い続けなければならない孤独。

 

病気は「ただの病気」にさせてもらえず、当事者は「ただの病人」にさせてもらえない。

 

薬物依存症の人たちが、どうやって自分の中の偏見を克服し、どうやって世間の偏見に向き合っているのか、話を聞いてみたいと思いました。当事者から直接に話を聞いて、僕自身の視線がどう変容するのか確かめたいと思いました。

 

それは、他でもないHIV陽性者に向けられる視線がどんな状況でどう変わるのかを知りたいという気持ちにつながっていました。当事者の話を直接聞いて、偏見がなくなった!そんな経験を期待していたのかもしれません。
   

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僕は知らなかった

ところが、2時間のミーティングを終えて僕が実際に経験したのは、予想とはちがう心の動きでした。
 

そもそも、「薬もう絶対にやりません!」という悲壮な決意は、壇上から語られませんでした。3人のスピーカーさんたちは一様に「今でも薬やってたほうが楽しいなと思うんですけどね、ハハハ」と明るく笑い、でも薬をやらない今の生活が幸せだし、せっかく続いてるから薬を断ち続けている、と話していました。

 

そう、アディクトの人にとって重要なのは「決意」ではなく「継続」だったんです。だからこそ、反省や気合より、肩の力を抜くことが大事。僕の毎日の服薬を考えれば、すぐにわかることです。強い決意や悲壮感なんてない。日常に溶け込んでいるからこそ、一日も欠かさず続いている。

 

ちょっと想像すればすぐに気づくこと。そのちょっとを怠っていたがために、僕は気づけずにいたのでした。

 

薬物をやめ続ける理由も、別に「悪いことだから」ではありませんでした。薬を使わない毎日のほうが幸せだから、という至極シンプルな理由。

 

薬物を始めるまでのストーリーも、僕はもっと奇特で壮絶だと思っていました。ところが、実際に語られたのは、誰もが抱きそうなありふれた悲しさや孤独。本当に壮絶なのは、薬に操られ自力ではどうにもならなくなっていく、依存症になってからの苦しみのほうだったのです。

 

いかに自分が知らなかったか、いかに自分が考えようとしていなかったか。プログラムが終わり、机の上のアンケートを眺めながら、僕の頭にはそんな思いばかりがめぐりました。

 

ふと、素朴な疑問がわいてきました。そもそも薬物依存症の人は日本に何人くらいいるんだろう。薬をやめることができたとして、寿命はどのくらいなんだろう。

 

あっ..….。

 

この質問、僕はどこかで聞いたことがありました。

素朴な疑問

数か月前、僕がよく行くバブリングバーに、ケンジ君というスタッフさんが新しく入りました。

 

話してみたところ、どうやら彼は僕について事前情報が何もないようでした(他のスタッフのみんなが、それくらい特別ではない属性としてHIVを受け入れてくれている証左であり、ありがたいことです)。

 

二回目に会った時も、同じでした。

 

これじゃ、ケンジ君だけに隠してるみたいになっちゃうな...(他のスタッフさんはみんな、僕のHIVステータスを知っている)。僕は、バブリングのインタビューに出たことがあるとケンジ君に伝えました。

 

スマホを取り出し、ある画面をじっと眺めていたケンジ君は、しばらくすると顔を上げてこう言いました。

 

ぜんぜんそういう風に見えませんでした…。

  

後日彼は、陽性者のイメージについて、「具体的な絵こそないものの、見れば一目で区別がつく絶望的で暗い姿をイメージしていた」と話してくれました。 ごくフツーに見える目の前の人が陽性者だったことが、ケンジ君には衝撃だったようです。

 

そっかーハハハと照れ笑いをしていたら(これを照れ笑いと呼ぶのか定かではないけれど)、ケンジ君は続けてこんな質問を投げてきました。

 

HIVの人って、日本にどのくらいいるんすか?

 

全国で28000人、報告の3割以上が東京都に集中していると説明しながら、「そっか、こういうことが気になるんだ…」と新鮮な驚きを感じていると、一部始終を横で見ていた他の人が聞いてきました。

 

あの...、HIVにかかると、寿命ってどのくらいなんですか。

 

意外でした。漠然としていた陽性者像がリアリティのある隣人の姿に置き換わったとき、彼らが欲したのは「どうするとうつるのか」とか「あなたが感染した原因は」という恐怖ベースの情報ではなく、「そのタグを持った人の位置づけ」をやりなおすために必要な知識でした(ちなみに、治療が効いているHIV陽性者の寿命は、一般の方と変わりません ^^;)。

 

そう、この疑問。

 

三人のアディクトの人が話すのを聞いて、僕が抱いた疑問は、ケンジ君たちが抱いた疑問とまったく同じものでした。

 

それは、当事者が「カオナシ」だったとき湧いてこなかった疑問。隣人としてのリアリティが脈打ちはじめて生まれた、ごく基本的で、新鮮な疑問。

 

今日の僕は、きっとあの日のケンジ君でした。

知ると気づくの繰返し

偏見。

 

それはきっと、「目からウロコ」の驚きで、瞬時に消えてなくなるものではないんだと思います。

 

ウロコが落ちた後「あれ?じゃあこれはどうなんだ?」と新たな疑問が湧き、そこから新たな知識が手に入り、その知識で人の位置づけがやりなおされ、そこでまた気づきに出会う。そうやって、知ると気づくを繰り返しながらだんだんと偏見はちがう目線に変わっていくんだと思います。

 

「偏見に対する偏見」が、少しなくなったのかな。そう思ったら、オマケのようについてきたこの変化こそが、このプログラムに参加して得た何より大切なことのように思えました。

 

薬物依存症のこと、また話を聞けるといいな。